2019年3月11日月曜日

みんな同じ


「みんな同じ」

 ずいぶん前の話になりますが、我が家の近くに大型の電気屋が開店しました。私も、物見がてらに開店の翌日に行ってきたのですが、開店記念セールの一環で、抽選会をしていました。この抽選会の参加資格は、2000円以上の買い物をしてくださった方と言うことだったようです。
 そこで、漏れ聞こえてきた会話です。それはどうやら、3万円以上買い物をした人だったようですが、「2000円だけ買っても一回抽選できるけど、私たちは3万円以上もかって一回だけしか抽選できない。なんか不公平よね。」っと言うのです。
 確かに、2000円だけ買った人も、3万円以上買った人も、まったく同じで1回ぽっきりしか抽選できないとしたら、なんだか不公平な感じがしないわけでもありません。そのうえ、もし、2000買った人が、1等を当たりを引き上げ、3万円以上も買った自分が、ハズレのポケットティッシュだったら、もう不満が爆発しちゃいそうです。
 聖書の中にも、似たような話があります。ある時、ひとりのぶどう園の主人が、ぶどうの収穫のために、労働者を雇いに、朝早く町に出かけていきました。町には、その日の一日の仕事を求めて集まっている人であふれていました。
 主人は、その中の良く働きそうな男に声をかけて「一日1デナリで働かないか」と声をかけました。1デナリというのは、2000年前のイスラエルの労働者が働く、一日分の給料としては十分なものでした。
 当然、その男は、喜んでその仕事を引き受け、一生懸命、主人のぶどう園で働きました。けれども、まだまだ人手が足らないようなので、主人は、お昼頃になって、別の男をやっとって来ました。しかし様子を見ていると、それでも間に合わないようです。そこで夕方近くになって、主人はさらに別の男を雇ってきたのです。
 やがて、日もとっぷりと暮れ、ぶどう園で働いていた男達に給料を払う時間になってきました。主人は、夕方近くに雇った男から順番に、それぞれ約束の1デナリづつ給料を支払ってやったのです。
 すると、朝早くから働いていた男から、「一日中一生懸命働いた私と、ほんの数時間働いた者とが同じ給料なんて不公平だ。」と不満が爆発してしまいました。
でも、その気持ちもわかるような気がします。あの2000円以上で一回抽選と同じ心理が働いているんでしょうね。働くものや、買い手にしてみれば、それは不公平極まりない出来事なのです。
あの2000円以上で、一回の抽選という開店セールを考えた電気屋の主人は、おそらく、2000円のお客さんにも、3万円のお客さんにも同じように開店の感謝の気持ちを表したかったんでしょうね。だからみんな同じようにしたんだと思います。
同様にぶどう園の主人は、朝早く雇った者も夕方雇った者も、彼らが生活する為には一日1デナリが必要な事を思い、同じように彼らの生活に気を配ってあげたのです。
買い手や労働者が自分の利権や利得を考えれば不公平に見えることも、売り手、雇い主の思いやりや心づかいから考えれば、みんなが同じなのです。
聖書は、あのぶどう園の主人は神様のことをあらわしていると言います。神様は、人が自分にどんな利益をもたらし、どんなに役に立つかによって差をつけようとするお方ではありません。むしろあのぶどう園の主人のように、すべての人の事を心配し、心づかいをしてくださるお方なのです。そして、私たちが、神の裁きにあうことなく、天国でちゃんと暮らしていけるようにと、イエス・キリスト様を、私達の罪の救い主として、この地上におくってくださったんですね。