2020年6月12日金曜日

会堂に集まる公同の礼拝はネット礼拝の補完か

        会堂に集まる公同の礼拝はネット礼拝の補完か

私たちの教会でネットを通じての礼拝が始まって3ヵ月が過ぎた。1年の1/4である。しかし、ようやく7月からは、3回に分散する形式であり完全に元の形ではないが、会堂での公同の礼拝を再開する。
もちろん、まだ教会に来ることに不安を感じている方々や、様々な事情で教会に来ることが困難な方のためにネットでの礼拝や説教原稿と式次第をあらかじめ送るということは続けていく。しかしそれは、公の礼拝に来ることができない方のための、あくまでも補完である。

 この新型コロナウィルスの災禍によって、教会でのネットの活用が一気に進み、ネットによる礼拝のライブ配信や録画配信が多く用いられた。
 一部には、これからの礼拝の形式としてネット礼拝を考える必要性がある声も聞こえる。その時に、会堂に集まってなされる公同の礼拝はどうなるのだろうか。ネットを見ることの出来ない人たちのための補完として会堂に集まっての礼拝が行われる。そんな理解が生まれてくるのだろうか。
 私としては直観としてネット礼拝というのは礼拝の本来あるべき形ではないと感じている。
 神学するとは、この直観をテーゼとして、その直感が如何に筋道を立てて論証していくかという作業でもある。そういった意味で、この新型コロナ災禍の中で、礼拝についてあれこれ学ぶ機会があら得られたのは幸いな事であった。そして、その学びを通しつつ直観は正しいのではないかと感じ始めている。
 公同の礼拝は、会堂に集まって行われるべきもので、ネット礼拝はあくまでも補完である。

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