2020年5月10日日曜日

コロナの先に何が見える


 コロナの先に何が見える


 政府より、正式に緊急事態宣言の5月中の延長が発表されました。これによりまして、教会の公の礼拝も、5月中は自粛することになります。6月の予定はまだ決まっていませんが、周りの状況を見ながら、公の礼拝に集うことを再開したいと願っています。
 ただ、教会の宣教を考えると、近隣の方々の理解をいただくことも大切なことなので、よく注意して、時期や再開の仕方を考えなければならないと思っています。早く公の礼拝を再開したいと言う気持ちがはやり、教会の近隣の方に不安を与えるようになってしまっては大変です。大阪府知事ではありませんが、集会の自粛の再開に向けてどのような出口対策を取るかが課題になっています。
 教団の事務所も5月一杯は閉じられることになり、いろいろと支障が出ることも考えられますが、現在の状況下ではやむを得ません。
 今回の新型コロナウィルスの世界的な流行を、14世紀の中世のヨーロッパのペストの流行に譬えて報道されたものをいくつか見かけました。私自身も、確かに似たような一面があるように感じています。
 もちろん、中世という時代背景は、今のような衛生状態ではありませんし、医療の内容も技術も格段に違っていますから、単純な比較はできませんが、人々がこぞって、この疫病に対して恐れや心配を感じており、多くの社会機能が停止してしまっていると言ったことなど、似たような一面も確かにあると言えます。
 その中世のヨーロッパでペストの流行もやがておさまり、ペスト騒動もやがて去って行きます。そしてペストが去った後のヨーロッパに何がやって来たかといいますと、ルネッサンスです。ルネッサンスというは、古典復興という文学的運動ですが、それに限らず人間とは何かを追求し、人間の可能性や尊厳性を評価し、人間の価値を認める運動です。
 中世ヨーロッパに人々は、苦しい出来事を通ることによって、自分たちの内側にある尊いものに目を向け始めたのです。
 今回の新型コロナウィルスに伴う自粛は、一人一人にとっても大変な試みですが、教会にとっても試練です。でも、この試練を通して私たちは、もう一度、教会とは何か、礼拝とは何かを考え、教会の持つ素晴らしさや、公の礼拝に共に集うことに意義と大切さを学び始めています。そしてそれは、私たちの信仰にとってとても大切なことです。。
 まだしばらくは、公の礼拝への出席の自粛が求められます。本当に大変なことで、みなさんにも、様々なストレスを書けていると思います。しかし、この時にしっかりと忍耐し、この事を益と変えて、より善い教会を築き上げる礎としましょう。

それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。(ローマ人への手紙/5 3節から5節)

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