2023年12月21日木曜日

布にくるまれ飼い葉おけに寝かされた赤子

  クリスマスはイエス・キリスト様がお生まれになったことを覚え、それを記念する日です。

 イエス・キリスト様がお生まれになった場所は、通説では馬小屋、家畜小屋だと言われますが、聖書のは直接的に馬小屋であったとか家畜小屋であったとは書かれていません。ただ、生まれて間もない赤子のイエス・キリスト様は布にくるまれ飼い葉おけに寝かされていたと記されており、またその理由が客間には彼らがいる余地がなかったからだとだけ記されています。しかし、これらの情報を総合して推論すると、イエス・キリスト様は馬小屋あるいは家畜小屋で生れたという通説は、あながち間違ってはいない、つまり蓋然性が高いと言えるでしょう。
 イエス・キリスト様が、馬小屋あるいは家畜小屋で生れたということを、いろいろ考えながら思い廻らしていると、様々な思いが心に湧き上がってきます。いったいなぜ、イエス・キリスト様は馬小屋、家畜小屋でお生まれになったのか。いやいや、聖書には「客間に彼らがいる余地がなかったからだと書いてあるではないか」といわれれば、真にその通りでありますが、それは状況的意味であって、では神学的にはどう読み取れるのかというと、そこには様々なことが読み取れていくのです。
 飼い葉おけに布でくるまれ寝かされていた。私は「布でくるまれていた」と言う言葉に、母マリアと父ヨセフの生まれたばかりのイエス・キリスト様に対する深い愛情を感じます。そう、イエス・キリスト様は両親の深い愛情に包まれて生を受けたのです。しかし、寝かされた場所は、飼い葉桶です。日本では飼い葉おけは木でつくられます。ですから、日本の絵本では、イエス・キリスト様やが寝かされている飼い葉おけは、木で描かれているものがほとんどです。けれども、その当時のパレスティナ地方の飼い葉桶は、石をくりぬいて作られたものなのです。石の飼い葉桶、それは冷たく硬いものです。そしてそれは、飼い葉桶ですから動物が餌を食む場所です。ですからきたなく汚れた場所です。
 イエス・キリスト様がいつ生まれたかはわかりませんが、それがいつであっても、飼い葉おけは、きたなく汚れた冷たく硬い、決して居心地が良い場所ではないのです。そのような場所でイエス・キリスト様はお生まれになられた。それは、客間と言う、人々が憩い、安らぎ、安心して過ごせる場所に、居場所がなかったからです。そういった場所から追い出されたところ、つまり宿屋の片隅に追いやられたところにイエス・キリスト様はお生まれになられたとのです。
 そう思うと、イエス・キリスト様という方がこの世界にお生まれくださった意味が見えてくるように思います。それは、この世界の中で様々生きづらさを感じている人の心の中にお生まれくださったのだと思えてくるのです。いやまさにそこに、イエス・キリスト様が、客間に入り場所がなく、飼い葉桶に寝かされていたという神学的な意味があるのではないかと思うのです。けれども布にくるまれ、両親の愛に包まれて寝かされているのです。まるで、生きづらさを感じ、辛い思いをし、悲しい思いをしている人の心も、父なる神様の大きな愛に包まれているのだというかのようにして、布にくるまれ眠っておられるのです。
 クリスマスを目の前に控えた、今というときに、冷たく硬い、きたなく汚れた飼い葉桶に中に、布にくるまれ寝かされらイエス・キリスト様が、無邪気な赤子の笑顔の中で「あなた」にそう語りかけているように、私には思えて仕方がないのです。・・・クリスマスの霊想

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