2024年4月1日月曜日

神さまはレッテルを貼らない

「レッテルを貼る」と言う言葉があります。これは、人のある一つの特性や特徴を抽出して、その人の外の側面をすべて捨象して、そのがどんな人であるかと言うことを断定的に判断してしまうことです。そして、この「レッテルを張る」と言う言葉は、しばしば悪い意味で使われます。

 たしかに「レッテルを貼る」と言う行為事態、良い意味で行われることはほとんどありません。たいていの場合、レッテルを張るという行為は好ましからざることなのです。そして、人を何かの範疇により分けてレッテルを貼り、それだけでその人の能力や人格、あるいは考え方といったものを含んだ存在の全てを一律的に判断してしまうことが良いことではないのは、皆さんも良くおわかりのことだろうと思います。

 私たちは、決して人にレッテルを貼って判断すべきでありません。また、人は、だれ一人として決してレッテルを貼られて見られるべきものではないのです。そして、神さまご自身もまた、聖書を通して「レッテルを貼る」と言う行為を良しとはしていません。にもかかわらず、キリスト教会の歴史に中には、人や民族にレッテルを貼り、迫害や弾圧を加えて来た過った歴史があります。そのことを、キリスト教会は大いに反省しなければなりません。その代表的な例が、ユダヤ人に対して取って来たキリスト教会の態度です。

 キリスト教会が、ユダヤ人たちを迫害してきた背景には、ユダヤ人達が旧約聖書に約束されていたキリストが来られたのに、その方を拒み、十字架で殺してしまったという出来事があります。そればかりではなく、キリスト教会のモットも原初の段階で、ユダヤ人達はイエス・キリスト様の弟子達の伝道を邪魔し迫害をしていたといったこともあります。
 そのような現実を目の当たりにして見せられますと、最も原初の教会の主要なメンバーの一人であったパウロと言う人物は、「もうユダヤ人達は神から捨てられてしまったのではないか」と問わざるを得なくなってしまうんです。しかし、神はユダヤ民族ということで、その民を捨てられたわけではありません。事実、「神さまはその民をすてたのであろうか」と、そう問いかけるパウロ自信がユダヤ人なのです。

 しかも、パウロ自身が、かつてはほかのユダヤ人と同様に、弟子達が、伝道して歩くのが気に食わず、キリスト様の弟子を捕らえ牢獄に入れ留などの、激しい迫害をしていたのです。そんなパウロが、今は救われキリストの弟子として、伝道して歩いている。この事に気付いたパウロは、神さまは、「ユダヤ人という民族に『ユダヤ人』というレッテルを貼って、全てを捨てられた訳ではないと言うことがわかるではないか」とパウロはそう言っているのです。

  まさに神さまは、人を民族や人種でレッテルを貼るのではなく、一人一人のことをちゃんと見て知っていてくださっているのです。当然、わたしたち一人ひとりの何かの特性や特徴をもってレッテルを貼り、そのレッテルで人を判断なさるようなお方ではありません。神さまは、一人一人のことをしっかりと見て知ってくださっているからこそ、民族や人種に関わらずに、一人一人を救いの恵みにお選えらびになるのです。

 だからこそ、ユダヤ人という民族が神の恵みを放棄したと思われるような状況の中であっても、神さまはそのユダヤ民族の中に、パウロのような人がいることをちゃんと見抜いておられるのです。そうやって、神さまは、たとえ人の目には民族全体が神に背を向けたと思われるような状況の中であっても、ちゃんとその中の一人一人に、丁寧に目を向け、その心の中までも見て下さって、救いの恵みに導いて下さっておられるのです。

 パウロが生きていた時代のユダヤ人たちは、イエス・キリスト様を十字架に架けろと声を挙げた人たちです。またイエス・キリスト様の弟子達を迫害し、パウロの伝道を妨害したような人たちです。表面的には、神から捨てられてしまっても仕方がないと思えるような状況なのです。 けれども、そのような人たちであっても、神さまは簡単にあきらめはしません。もう絶望的だと思われる状況の中にあっても、ほんのわずかな光が見いだせるならば、神さまは絶対にあきらめることはなさらないで、そのわずかな光を追求なさるのです。

 神さまはたとえわずかなものでも、決して見のがさず、また、そのわずかなものを決してあきらめないません。恵みの神はあきらめない神なのです。ですから、わたしたちは、私たちの内に光があることを信じ、自分自身をあきらめてはいけません。また、わたしたちの周りにいる人に対しても、その人の中に光があることを信じ、その人に「あの人はダメだ」などとレッテルを貼ってあきらめてもいけないのです。たとえそれが、どんなにわずかなひかりであったとしても、わずかな光を追求していかなければなりません。決してあきらめてはならないのです。

 それは、神さまが、決してわたしたちを、見捨てることも見放すこともなさらない神だからです。

 

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