2024年2月6日火曜日

蛇の賢さと鳩の素直さ

 新約聖書マタイによる福音書十章十六節には、伝道の旅に出かけていこうとする弟子たちに、キリストかけられた次のような言葉があります。

「わたしはあなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り込むようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のように素直でありなりなさい。」

 狼の中に送り込むというのですから、そこには、様々な命に関わるような危険なこと出会うことがあるのだろうと思います。そんなときには、蛇のようにさとく、つまり賢く、また鳩のように素直であれ」というのです。でも、いったいどんな賢さが「蛇のような賢さ」であり、どんな素直さが「鳩のような素直さ」なのでしcょうか。
 いろいろと調べてみましたが、どうやら、キリストの時代、「蛇は危険を察するとさっと逃げて隠れてしまう」と思われていたようです。ですから、「蛇のような賢さ」とは、「危険を察したら、さっと身を避けて逃げる、そんな賢さ」を指しています。要は「危険に身をさらさないで、逃げるのも賢さだ」と言うわけですね。

 また鳩についてはというと、聖書は鳩に対して、旧約聖書ホセア書七章十一節で、「知恵の無い愚かな鳩ようだ」と表現しています。つまり、鳩は、自らの知恵と才能で事を切り抜けていけないような愚かさをもつ存在だと言うことです。そうすると、「鳩のような素直さ」とは、「命に関わるような危険な場面に出くわしたなら、自分で何とかしようとしないで、助けてくれる人の言葉に素直に耳を傾けなさい」と言うことになります。

 ところが、実際に命の危険を感じるような事態や場面といったものは、今の日本に住んでいる限り、早々感じられるものではありません。日本は、まだまだ世界の中では平和で安全な国だからです。けれども、聖書がいう命の危険というのは、何も戦争や犯罪で、身の危険にさらされると言うことだけではありません。この肉体の死と言うこと以上に、私たちの魂、あるいは霊が滅んでしまう、霊の死ということを含んでいるのです。
 この霊の死というのは、私たちと神との関係が完全に途切れてしまい、全く関係なくなってしまうと言うことです。神と私たちと関係が途絶えてしまうと、私たちは神が支配しておられる神の国、つまり天国に入ることが出来ません。

私たちが、死んでもその死ですべてが終わってしまうのではなく、その死の先に、やがてイエス・キリスト様が再び来れるときに復活し、神様と共に生きる天国がちゃんと備えられているということは、大きな希望です。死んだらそれでおしまいと言うのでもなく、あるいは、どうなるかわからないというのでもありません。安らぎと喜びに満たされた天国が、やがてイエス・キリスト様が再び来られるときに用意されているのだと言う確かな望みが与えられていることは、どんなに大きな慰めだろうかと思います。

その天国の望みが危機にさらされているとするならば、それは大変なことです。なのに、普段の私たちは、神とは全く関係ないかのように生きてはいませんでしょうか。それこそ、神なんか必要ないといって、自分の力や知恵、ある才能によって、人生に立ち向かい、頑張って生きているように思うのです。

 実は、それこそがまさに狼の中身を置いているような危険な状態なのです。だからこそ、そのような状況から早く抜け出して、神を信じ頼りながら、神が聖書を通して語りかけて下さる言葉に、素直に耳を傾けて生きていくことが大切なのです。それは、あなたが、天国という、肉体の死を乗り越えた大きな希望を決して失わず、平安と喜びの中を生きていくためなのです。ですから、ぜひあなたにも。神を信じ、聖書をお読み頂きたいと思います。

 

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