2024年1月26日金曜日

信じる者の幸い

 旧約聖書詩篇十六篇二節にこんな言葉があります。

「あなたこそ。私の主、私の幸いは、あなたの他はありません。」

この主というのは神のことです。ですから、この詩を書いた人は、「神を信じ生きているわたしの人生は幸せです。」とそう言っているんですね。でも、神を信じて生きる人生が幸せだといわれても、それは一体どんな人生なのでしょうか。そもそも、神を信じて生きるとどうして幸せなのでしょうか。

 先日、ある方のお話を聞きました。それは、一人のキリスト教の伝道をしている牧師さんの話でした。その牧師さんは、キリスト教の伝道をしようと、教会をたて、一生懸命伝道して歩いたようです。にもかかわらず、誰も教会に来こないのです。それで、毎週、毎週たった一人で日曜日に礼拝をするということがずっと続いたようです。普通に考えるならば、その人は、誰一人教会に導けなかったのですから、その人の伝道は、失敗したといえます。

 わたしも牧師ですからわかるのですが、牧師が伝道するのは、強い使命感の押し出されてのものです。普通、強い使命感にたってやっていることがうまくいかないとがっかりしたり、強い挫折感に襲われるものです。ところが、その牧師は誰もが失敗したと思える中で、その牧師さんは、決してあきらめることなく毎週毎週、ずっと礼拝を続けていったそうなのです。

 その様子を見ていた人が、何も結果が得られずに失敗したと思われるような中で、いったいどうして投げ出さないのだろうかと不思議に思ったようです。そして、この人は何に支えられているのだろうかとそう思ったというのです。そこで、その牧師に訪ねてみた。そして、わかったことは、この牧師さんは神に支えられているのだと言うことでした。

 私たちは、物事がうまくいかず、自分の人生は失敗したまでいわなくても、もうダメだと思うようなことがあるのではないか思うのですがどうでしょうか。そんながっかりして挫折を感じるような時でも、だれか支えてくれる人がたならば、私たちは、その困難な状況を乗り越えていくことが出来のではないかと思うのですが、どうしょうか。
 神を信じる人生が幸せなのは、そのような人生の困難なとき、苦しみや悩みのときに神が私たちの支えになってくれるからです。

旧約聖書詩篇十六篇二節「あなたこそ。私の主、私の幸いは、あなたの他はありません。」

神は、「あなた」の人生のパートナーとなって、「あなた」を支えたいと思っておられるのです。

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