2024年1月8日月曜日

アイム・オッケー

 「アイム オッケー」

 旧約聖書イザヤ書43章1節、2節にこういう言葉があります。

「恐れるな。私はあなたを贖ったのだ。あなたは私の名を呼んだ。あなたはわたしのもの。あなたが、水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中をあるいても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」

 この聖書の言葉は、「恐れるな」と語りかけていますが、それは、「大丈夫だよ。心配しなくてもいいよ。」という神様からの語りかけの言葉です。
 私たちの人生には、様々な試練や試みと言ったことが起こります。どんなに順調で、人から順風満帆だと思われるように人生にだって、苦しみ悩むことは、何度かあるように思うのですが、どうでしょうか。まさしく、人生に、川の中を過ぎるときや、火の中を歩くような時があるんですよね。そんなときにも、神は、「大丈夫。心配しなくてもいいよ。」とそう語りかけてくださっているのです。
 私が、会社勤めをしているときの事です。仕事で問題を抱え込んで、悩んだり落ち込んだりしているときに、よく先輩が「大丈夫、命まで取られることはないから」と声をかけてくれました。そう言われると、少しだけ気が楽になる感じがしました。けれども、神が「大丈夫」は、「命まで取られることはないから大丈夫だ」と言うことではありません。「私が、あなたと共にいて挙げるから大丈夫だよ」とそういわれるのです。

 人生には、本当に本当に苦しいことや悩ましいこと、あるいは心配事を抱え込んで過ごすときがあります。私もそういう時を何度も過ぎしてきました。ある時は、母の死から始まって、娘たちの受験や、教会の様々な問題と、本当にいろんな事があった一年素図五しました。その時は心配なことや不安なこと、あるいは頭を悩ませることが一杯あって、正直なところ、心身共に疲れ切ってしまっていました。その時だけではありません、そういうことが何度もあったのです。
 そんなときにはね、静かに部屋にこもって、心を静めて祈るなんて事はできません。そんな時は、「ただ神に向って、『どうしてですか』と問いかけ、心の不満を神に語りかけるしかできなかったのです。しかし、ある意味それは、神に向かってなされる呻きような祈りであったということができます。
 試練の中で、神に不満をぶちまけ、「なぜこんなことの成っているのか」とつぶやく声ですら、神は耳を傾けて聴いてくださっているのです。そのことに気づいてから、私は、よくお風呂で、「神よ、どうしてですか。」と、自分の不満を神に語りかけていました。ひどいときには、祈りの言葉さえ出てこなくて、ふてくされて過ごすことさえありました。でも、それはそれで、私の神への意思表示だったのです。
 けれども、そんな私に、神はいつも寄り添ってくださっていました。そして、心の中に、「大丈夫」だと語りかけてくださっていたのです。もちろんそれは、言葉としてではありません。けれども確かに、神は私と共にいて、私を慰め、励ましてくださっていたのです。だからこそ、様々な試練やいろいろあった事を乗り越えてこられたのだろうと思います。
 この神が、私と共にいてくださるならば、これからもきっと、いろいろと思い悩み、落ち込むことがあっても、きっと「I’m OK、私は大丈夫」だと思える時がくるのだろうと思います。そして、あなたもこの神を信じ心に受け入れるならば「You are Ok、あなたも大丈夫」だと思えるようになると思うのです。

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