2023年10月10日火曜日

反省する力

 

 ずいぶん昔のCMの中に「サルでも反省できる」と言った文言があったのではないかと記憶しています。もっとも、「サルでも」という言葉は、初めから、人間の方がサルよりも優っているという優越感が感じられ、少々サルに対して失礼な感じもしますが・・・・。でも、この言葉は、「反省することは大切ですよ」、「しっかりと反省していますか」という反省を促す意図が根底にあるとするならば、反省することが多くある私にしてみれば、「しっかりと反省しなければいけないな」思わされる耳の痛い忠告の言葉であったな思っています。
 反省するということは、同じ過ちを繰り返さないという将来に向かう方向性と、犯してしまった過ちに対処し、その過ちを修正するという過去に向かう方向性があります。そして、その前提として、反省する前に、自分は間違っていた、誤っていたということを認めるということが必要になります。
 自分の間違いや誤り(過ち)をみとめるということは、意外と難しいものです。仮に間違っていた、誤っていた(過っていら)ということは認められたとしても、その時に「でも、●×▽■ということがあったから」などという言い訳がましいことを行ってしまうとするならば、それは心の底から反省していることにはなりません。むしろそれは、反省していると言いつつ、自分の間違いや、誤り(過ち)の責任を、他の何かに、あるいはほかの誰かに責任転嫁していることになります。そして、それを私たちはしばしばしてしまいます。
 それほど、自分の間違いや誤り(過ち)に向き合い反省するということは大変な事なのです。反省するということは、自分自身と向き合うことであり、自分の心と向き合い、責任を負うということなのです。
 この自分自身の間違いや誤り(過ち)が、単に物や事柄に対するものであるだけなら、あるいは、その間違いや誤りがもたらす影響が自分だけに関わるものであるとするならば、まだいいのですが、自分の間違いや誤り(過ち)の結果が、誰かを傷つけたり、悲しませたり、誰かに損害を与えたとするならば、その事実に向き合うということは、自分自身の心も痛みますし、その負うべき責任の大きさに押しつぶされそうになってしますます。
 しかし、それでもなお、神様は人間に反省する心を与えてくださいました。自分自身の心に向き合い、その過去の間違いや誤り(過ち)から立ち上がり、将来に向かって歩んでいく者としてくださっているのです。それが、人間という存在なのです。その反省する力、反省力を神様は、そして神の独り子であるイエス・キリスト様は私たちに与えてくれるのです。
 そのような人間について、私の友人の岩本遠億牧師が「罪に立ち向かう勇気」と短いメッセージで次のように述べています。そのショート・メッセージを下記のアドレスで聴くことができますので、下記のアドレスをクリックし、出てくる画面の▶をクリックしてください。


https://podcasters.spotify.com/pod/show/genki-seisho/episodes/ep-e2abipt?fbclid=IwAR1ry-SmOsh57Z8qtTCgnhIboDeBEw8PSDpD_McUvCkUzaTnchqczEluDlY

(この岩本牧師のショートメッセージは、岩本牧師の著書『366日、元気の出る聖書の言葉』にあるものを音声にしてお伝えしているものですが、岩本牧師の御許可をいただいて転載しています)

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