2023年10月14日土曜日

道は隠されていても、閉ざされてはいない。


私が高校生の頃、勉強が全くできませんでした。高校の成績はいつも惨憺たるものでした。しかし、どういうわけか世界史の授業だけは良かったのです。実際、世界史は、世界の歴史を学ぶということは本当に楽しいと感じていました。
 それで、大学は文学部の西洋史学科を受けたのですが、残念ながら不合格でした。結局、歴史とは全く関係ない経営学部に入学するのですが、そこしか合格しなかったからです。そのようなわけで、私は学びたい学問を学ぶ道が閉ざされました。そのように、私の人生では、私が願い求めた道が閉ざされるということが何度もありました。そもそも、牧師になるなど人生の計画の中には全くなかったことなのです。
 確かに、私の人生は私の計画通りには進みませんでした。ほとんど願った道は閉ざされたのです。しかしその中で、かつて諦めたものが、のちに違った形で実を結んだものもありました。
 私が、大学で西洋史を専攻したいと願っていたと書きましたが、牧師になって7年目になった時に、私の神学校の恩師から、宗教改革についての勉強をするようと言われました。和t氏の神学校の卒業論文の中で、宗教改革期にあったルターという人物とエラスムスという人物の自由意志論争について書いたものが目に留まり、それで神学校で宗教改革について私美教えさせようと考えられたからです。それで私は、正規のではありませんでしたが、ある大学の授業に参加するようになり、更には、実際に正規の院生として別の大学院で学ぶことができました。大学院に入学したのは50歳を過ぎていましたから、30年の時を経て、大学受験の時に願っていたことが実現したのです。そう、道は閉ざされてはいないのです。
 神様が、私たちの人生に関わられるとき、神様は必ずしも私たちの願いや計画と違う人生を歩ませることがあります。それは、神様もまた私たちの人生に御計画を持っておられるからです。ときには、神様の御計画は、いばらの道に感じられるときもあります。けれども、神様の御計画は、私たちの人生に災いをもたらすものではありません。神様は絶えず、永遠という時間軸の中で私たちの将来を見据えながら、私たちを導いておられるのです。
 その神様について、私の友人の岩本遠億牧師が下記のアドレスで「道は隠れていても、閉ざされてはいない」という4分強の短いメッセージで語っています。下記のアドレスをクリックくださり、新しく開かれた頁で▶マークをクリックしてくだされば、そのメッセージを聞くことができます。

https://podcasters.spotify.com/pod/show/genki-seisho/episodes/ep-e2ai1gs?fbclid=IwAR3QQyiiZ2G0tpFTk8_PXRZOlJveVA3GPOy4iyJWQPTe5ELNKJAeAJAy9UY

(この岩本牧師のショートメッセージは、岩本牧師の著書『366日、元気の出る聖書の言葉』にあるものを音声にしてお伝えしているものですが、岩本牧師の御許可をいただいて転載しています)

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