2023年10月20日金曜日

自分の力で立ち上がれない者を

 
 私は、牧師になって間もない頃、「もう牧師なんてやめてしまおう」と思った時がありました。一生懸命教会に仕え、教会員の方のために働こうと思い、自分なりに精一杯頑張っていたのですが、一部の方に理解されず、むしろいろいろと批判される言葉を耳にしたからです。それで、心の糸がぷつんと切れてしまって、「もうやめてしまおう」と思ったのです。それで、妻に「やめようか?」と心のうちにあった思いを話しました。
 すると妻は「やめたら」というのです。その言葉で、私はもう一度、頑張ってみようと思いましました。妻や子供を抱えており、まがいなりにも従業員を五千人を抱える一部上場の大企業に勤めていた中、牧師になると言って会社を辞め、神学校に行き牧師になって、まだ日も浅いのに「やめようか」と言い出す私に、「やめたら」と言って、私の心中を察し寄り添ってくれる言葉に、私は「ここでやめるわけにはいかない」と思い、失意の中から立ち上がることができたのです。
 私は言葉によって打倒され、言葉によって立ち上がることができたのできました。言葉は人を殺しもし、生かしもするのです。
 しかし人間の人生には、もう立ち上がれないと思われるような経験をすることがあります。周りの人が励ましや慰めの言葉をかけてくれても、立ち上がれないと思うような時があります。そのような状態は、まさに絶望と思われるような状態です。そのような絶望の状態の中にある者にも神は、言葉をかけて立ち上がらせてくださいます。神の言葉には力があるのです。
 旧約聖書にエリヤという人物の話が書かれています。エリヤは神様のために働き、大きな成果をもたらしました。ところが、そのためにエリヤはイザベラという女王から命を狙われることになるのです。そのことに失望したエリヤは「もう自分の命を取って欲しい」と神に祈るほどに失望し、立ち上がれなくなってしまいます。そんなエリヤに神はささやくようなか細い小さな声で「お前はここで何をしているのか」と語りかけるのです。その声がエリヤを奮い立たせます。そして、エリヤは再び立ち上がるのです。
 私には、「お前はここでない荷をしているのか」という言葉で、なぜ奮い立ったのかはわかりません。何でもない言葉だからです。しかし、考えてみると、私の妻が私にかけた「やめたら」という言葉も、なんでもない一言です。なんでもない一言でも、相手を思う心が込められた一言には不思議な力があるのです。
 神が私たちに語りかける神の言葉には力があります。もはや人間の言葉の力では立ち上がれないような絶望の中にいる人であっても、神の言葉は、その人を立ち上がらせるほどの力があるのです。その神の言葉は、今日も「あなた」に語りかけています。ただその声はか細く小さいのです。だから、聴こうとして耳を傾けなければなりません。しかし、確実にその言葉は、「あなた」に臨んでいるのです。
 その人を立ち上がらせる神の言葉について、私の友人の岩本遠億牧師が「自分の力で立ち上がれない者を」という三分半程度の短いショートメッセージの中で語っています。下記のアドレスをクリックし、新しいページにある▶マークをさらにクリックしていただくとそのショートメッセージをお聞きいただけます。


https://podcasters.spotify.com/pod/show/genki-seisho/episodes/ep-e2aq3vv?fbclid=IwAR0xdJZ2sI3pGShp9P7EhDfChlRqYGvonpxdWuQXhmZFDWGdDevOdrXJ8XA&%24web_only=true&_branch_match_id=943951679210878550&utm_source=web&utm_campaign=web-share&utm_medium=sharing&_branch_referrer=H4sIAAAAAAAAAwXBWw%2BCIBQA4F%2BUdFnXrTUXxvSl0gfJNxHosEhOQmj%2Fvu%2BDENAfCPHogtG%2Ftu%2FADbNRiaRFTKzpX0SRTeWeMWPrBRUnLTpr5DEf03I%2ByaJZ%2BnyFrALc37YZUH0GW34eLLoeJ1l%2F7xzezYXWTFIVr3LgxY6nfwBKGV11AAAA

この岩本牧師のショートメッセージは、岩本牧師の著書『366日、元気の出る聖書の言葉』にあるものを音声にしてお伝えしているものですが、岩本牧師の御許可をいただいて転載したものです。


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