2023年10月21日土曜日

神に見ていただく


私たちは、人には誰にも見せたくない自分の姿を持っています。それは「弱さ」であったり「汚さ」であったり「嫉妬深さ」や「意地悪さ」であったりします。もし仮に、そのような見せたくない姿を知られたならば、それまで築き上げた人間関係や信頼関係にひびが入り、非難されたり拒絶されてしまうかもしれません。ですから、自分自身のすべてを人前にさらけ出して見せるということなどは、とてもできないのです。そこには、自分を見る周囲の良く満たれたい意識されています。基本的に、私たちは人から良く見られたいと思う存在なのです(もちろん、ごくまれに自分を悪く見せようとする人もいないわけでありませんが…)。いずれにせよ私たちは、周囲の目を気にして生きているのです。そしてその傾向は、私たち日本人には、さらに強くあるのかもしれません。

 このような傾向は、言葉を換えて言えば、周囲の目が私たちの思いや行動を支配しているということができます。周囲の目、それは世間とも言えるものですが、この世間を恐れ、世間に受け入れられるために、私たちはありのまま間の姿をさらけ出すことができないのです。そしてそれは、自分が自分自身を受け入れることができないでいるということでもあります。
 そのような「私たち」に対して、聖書は神様は「私たち」の隠れたところを見ておられると言います。つまり、神様は私たちのすべて、ありのままの姿を知っておられるというのです。だとすれば、その神様の前に、「良い格好し」をしても何もなりません。むしろ、自分の「弱さ」や「汚さ」や「嫉妬深さ」等々の否定的な一面も全部さらけ出して見ていただくことが大切です。そして、こんな私を受け入れてくださいと訴えることが大切なのです。もちろん神様は、神様の前に自分自身のすべてを見ていただくためにさらけ出す私たちを受け入れてくれます。その時に、私たちを縛り付け支配している世間の目というものから解放されるのです。

 もちろん、世間の目から解放されたと言っても、私たちは世間の中で生きています。世間の中で生きているからこそ、私たちは人間なのです。そして人間である以上、世間のルールや法律を守りながらいきていかなければなりませんし、そのようなルールや法律をないがしろにして良いわけはありません。そして、その世間の中で頑張って生きて行かなければならないのです。そのような中で、私たちはただ神の前に進み出て、神の前に立ち、私たちのすべてをさらけ出して見ていただくとき、私たちのすべてを受け止めてくださる神の愛によって慰められ、励まされ、再び世間の中で生きて行く力を得ることができるのです。

 この「神に見ていただく」ということを、私の友人の岩本遠億牧師が四分足らずの短いメッセージで語っています。岩本遠億牧師は、私がここで書いた内容とは少し違った視点で「神に見ていただく」ということを語っています。それは、自分の力ではどうしようもないような強力な悪の力、罪の力が支配する現実を神に見ていただき、神がなしてくださることに期待をし、信頼することの大切さを伝えています。その岩本牧師のショートメッセージは、下記のアドレスをクリックし、新しく開かれたページで▶マークをクリックしてくだされば聴きことができます。なお、この岩本牧師のショートメッセージは、岩本牧師の著書『366日、元気の出る聖書の言葉』にあるものを音声にしてお伝えしているものですが、岩本牧師の御許可をいただいて転載したものです。

https://podcasters.spotify.com/pod/show/genki-seisho/episodes/ep-e2arlsq?fbclid=IwAR2w_GKquYL4j46CV9zy-ZDVEwkqIHbZW6ns69_f1YGKjh4X2stQP_JNAio

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