2023年11月18日土曜日

聖書の読み方

 聖書は、キリスト教にとって重要な書物です。それは、キリスト教を信じる者にとって、その信じる内容である教義とキリスト教を信じる者としての生き方(倫理)の基準となる正典です。その聖書は旧約聖書と新約聖書の二つによって構成されます。旧約聖書はイエス・キリスト様以前の歴史を、ユダヤ人たちの歴史を中心にして書かれたもので、律法と預言書と詩歌が記された諸書の三つの部分があり、その多くはヘブライ語で書かれています(一部アラム語)。そして新約聖書はイエス・キリスト様のご生涯を記した福音書と教会が作り上げられていく過程を示した使徒行伝と、イエス・キリスト様の弟子たちが記した手紙の三つの部分の分けられ、そのすべてが古代の通俗ギリシャ語で書かれています。これら全体を含んで聖書とよばれるのですが、聖書は古代の文献であり、また宗教書です。

 聖書は古代の文献でありますので、当然、現代の私たちがそこ何が書かれているかを知り理解するためには、それを読み解くため、つまり解釈をするために方法が必要になります。しかもそこに書かれているのは宗教的な内容なのです。そのようなわけで、様々な解釈の方法が考えられ、聖書の何が書かれているかが研究されてきました。
 そのような中で、二十世紀後半になって物語神学と呼ばれるものが出てきました。そもそも、古代において宗教的真理というものは物語によって伝えられてきたのだから、聖書もまた一つの物語として読むべきだというものです。聖書は聖書全体を通して物語られている物語(グランド・スト―リー)があり、このグランド・ストーリーは、そのグランド・ストーリーの中にある様々な小さな物語で構成されているというのです。そして、そのグランド・ストーリとそれを生み出している物語を、心に思い浮かべ、その物語の中に、聖書読む読者が自分の物語を見いだしながら、グランド・ストーリが伝える内容を、理解し、自分へ語りかけている真理の言葉として受け止めていくのだというのです。

 では、聖書が物語るグランド・ストーリーとは何か、それは、「罪と死の支配と抑圧からの解放」です。「わたしたち」は様々な物事によって支配され、抑圧されています。それは独裁者や権力者による支配であったり、社会制度や経済システムにより支配であったり、人間関係における上下完成の支配がもたらす抑圧であったりします。そして、そのような支配と抑圧がなされるとき、支配するものは力と恐れとを用います。そして、そのような様々な支配と抑圧は、この世界が罪と死によって支配されているからだというのです。
 聖書は、そのような様々な支配と抑圧の中に生きた人々の物語を描き出します。同時に、そこから解放された人々の喜びの物語をも描き出します。その様々な物語が、「あなた」の人生の物語に静かに語りかけ、「あなた」にもまた、あなたを苦しめる支配と抑圧から解放する神の愛と慈しみを語るのです。
 ですから、聖書を読むというとき、そこに記される物語を物語として読みながら、「あなた」の心に浮かび上がってくる情景を大切しながら読むことが大切です。そして、その心に浮かび上がってきた情景が、あなたの心に何を感じさせるのか、この感情に目を止めるのです。sぴしれば、「あなた」は聖書の中にある物語るの中に「あなた」の姿を見いだすことができます。そしてそれが、あなたの心に救いをもたらすのです。
 その物語が物語る情景について、わたしの友人の岩本遠億牧師が3分半弱の短いメッセージで語っています。岩本牧師のメッセージは、下記のアドレスをクリックして開かれた新しいページにある▶マークをクリックしてくだされば聴くことができますので、どうぞお聴きください。下記のアドレスは岩本牧師のご承認をいただいて掲載しています。

https://podcasters.spotify.com/pod/show/genki-seisho/episodes/ep-e2c2bp3?fbclid=IwAR1DXfTrqx_bV8e0zKroJ6o55QdhMP-Vd4qEUXqzSDk5a-KDyA1bpGvSkA8

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