あなたに注目
学生時代に、濱、「お前名脇役だな。」って言われたことがありました。別にお芝居をしていた分けじゃないんです。遊びでもなんでも、いろんな場面に、いつも顔を出していて、いなきゃ困るんだけど、決してその場の主役ではない。これがお芝居なら、名脇役って言われたら、それは優れた演技派の俳優だって意味ですから、「名脇役」って呼ばれても胸を張ることもできます。でも、たとえ名脇役と言われたとしても、脇役は脇役である以上、要は引き立て役なわけですから、なんだか、ちょっと寂しい感じがすると言う人もいるかもしれません。人間は誰しも、その場の主役になって、みんなの注目を浴びてきたいなんて、気持ちが心のどこかにあるのかもしれません。
注目するっていうことは、関心を持って見られると言うことですよね。関心を持つからこそ、他の人ではない、その人の事をじっと見つめる。そのときに、その人は、その他大勢のではなく、まさに関心のある「あなた」という存在になるんですよね。
旧約聖書には「十戒」と呼ばれる、神が人間に与えた十の戒めが記されています。
そこには、「あなたは、わたしのほかに、なにものを神としてはならない。」とか「あなたは人を殺してならない。」とか、「あなたは、みだりに神の名を唱えてはならない」ってことなどが書かれています。
でね、前島誠って人が、「ユダヤ人最高の知恵」と言う本で、この「十戒」が、みんな、あなたと言う呼びかけになっている事に注目しましてね、次のように言うんです。
「あなた方は・・・・してはならないではなく。あなたはしてはならない。譬え他の人が殺そうとも、他人はどうであれ、あなたは殺してはならない。他人が何をやるかが問題ではない。あなたが問題なのだ。」
それ読んでいて、なるほどなって思いました。十戒って言うのは十の戒めでしょ。ですから言うなればそれは規則のようなものです。
普通、規則というものは「みんな、これはしてはいけないよ。みなさんはこうしましょうね。」といった具合に、その集団にたいして与えられるものです.もちろん、その集団の中に、私が入っているならば、私も、この「みなさん」の中の一人であることはまちがいありません。
でも、「みなさんは、このようなことをしてはいけませんよ。」だと、私も他の人と同じみんなの中の一人でしかありません。私が、「みなさん」と呼ばれるとき、その人は私という存在に注目し、関心を注いでくれているのではないのです。
神様は、私を「みなさん」という集団のひとまとめにして、それこそ一山いくらのトマトのようにあなたや私といった存在を見ているのではないのです。たとえ集団の中の一人にしか過ぎないようなものだと自分で思っていても、神様は、いつも私という一人の存在、あなたという一人の存在に心をかけ、目を注いでおられるのです。
だから、みんなに語りかけた規則である十戒においてですら、「あなた」って、そう呼びかけられるんです。
今日も、神様は、30億人もいる人間の中で、あなたに関心を注ぎ、あなたという人物の注目しておられるのです。