「安心を与える言葉」
ちょっと昔の話になりますが、一種の不眠症のような感じで、十分に眠れない時期があったんです。眠っていても、半分起きているみたいで、寝ているのか寝ていないのか、よくわからない感じ。じつはその時期、ちょっとした心配事があったからなんです。
心配事がある時って、なんだか心がわさわさと騒いで、不安で、どうしようもなかったりするじゃないですか。考えてみてもしょうがないのに、ついつい考え込んで眠れなくなっちゃう。そんな感じだったんですね。
ところが、新約聖書のヨハネによる福音書の14章で、キリストは「あなたがたは、心を騒がせてはいけません。神を信じ、わたしを信じなさい。」と言っているんです。
不安なときに、心を騒がせるなって言われてもね。それができないから、眠れないでいるわけでしょ。随分無茶なことをいうなって、そんな感じがします。
でも、考えてみますとね。あながちそうとも言えないような気もします。
というのも、私の友人がこんな事を聞かせてくれたんです。それは、彼が、ちっちゃい頃に、迷子になったって話なんでした。彼は、何人かの友達と、言ったこともない遠くまで冒険しに時に、友達とはぐれてしまって、ひとりぼっちになっちゃったんですって。
はじめての場所で、迷子になって帰れなくなってしまった。彼はだんだん不安になってきて、涙がポロリポロリ。とうとう最後は「わんわん」と泣き出したんだそうです。
そのときに、一人の人が「どうした。迷子か」って声をかけてくれてね、「家の電話番号わかるか。」って聞いてくれたんですって。それで電話番号を教えると、家に電話をしてくれた。
その人は、一通りの事情を説明すると、「ほら、お父さんだよ。」って受話器を渡してくれた。その電話口の先でね、お父さんが「大丈夫だよ、心配するな。すぐ迎えに行くから」ってそう言っている。彼はね。その声を聞いて「ホント安心した」って、言っていました。
どんなにたくさんの慰めや励ましの言葉が、何の役にたたないこともあります。反対に、ほんの一言でしかないのに、不安や恐れで荒波のように騒いでいる心をほっとさせ、いっぺんに安心させてしまうことってあるでしょ。
私の友人が「大丈夫だと、心配するな。すぐ迎えに行くから。」っていう短い言葉で、安心することができたのは、それが彼のお父さんの言葉だったからです。
つまり、自分に愛情を注いでくれている親の愛情とその父親に対する信頼が、彼の心を鎮め、安心させてくれたってことなんでしょね。
聖書は、私たちの心にいつも語りかける神様の言葉です。ですから、今日、あなたに、神様があなたを愛しているってことを知ってほしいんです。そして、その、あなたを愛する神様を信頼して欲しいなって、そう思うんです。
そしたら、きっと、聖書を通して語りかける神様の言葉が、あなたが不安なときにも、あなたの心から不安をかき消してくれるだろうってそう思います。そして、安心で一杯に満たしてくれる。まさに「心を騒がせなくても良く」なるんですね。その神様が与える、安心で満たされる心を、あなたにも手に入れて欲しいなってそう思います。