霊と肉
東京の新型コロナウィルスの感染者数は、一時と比べると若干の現象は見られますが、相変わらず100人を超える新し感染者が出ており、まだまだ終息には時間がかかりそうですが、皆様、一週間の間お変わりありませんか。
今週は私たちの教会に属する愛する兄弟が手術を受けると言うことで、みなさんにお祈りいただきましたが、この手紙を書き始めた少し前に、久子姉より、無事に手術が終わりましたとの連絡を受けました。9時から始まり15時近くまでの長丁場の手術ですが、神様に守られたことを覚えます。
しかし、まだこれから術後の回復のための治療と期間が必要です。周りの情勢は新型コロナウィルス騒動で大変な状況下ですので、どうぞ引き続き兄弟と看護するご家族の上に、神様の恵みと支えとが注がれますようお祈りください。
こうして、長く礼拝に集えないという状況の中で、私は「霊と肉」ということを考えさせられています。長いキリスト教会の歴史においては、この「霊と肉」というものについて、いろいろと考えられてきました。そのような中で、いつも霊が肉と比べそり優れたものであり、人間の肉、つまり肉体は霊よりも劣るものであるようにとらえられてきたように思います。
場合によっては、プラトン哲学の影響もあり霊と肉とを二項対立的構造の中で捉えてしまい、肉体を人間にとって割るものであるかのように考えていた時代もありました。それがもっとも醜悪な形で表れたものがグノーシス主義と呼ばれる、初期のキリスト教の異端的思想でした。
しかし、人間の肉体も神様の創造の業であり、人間の霊も肉体と言う器なしには存在し得ないものであると言うことを、現在の教会にみんなが集まって礼拝できないという状況の中で痛切に感じています。そして、みなさんが、心だけではなく、体をもって教会に集まり、礼拝する中で、皆さんの息(聖書言語のヘブル語もギリシャ語も霊と言う意味を持つ)を感じる中で、単に理念としてでなく、本当に一つの共同体、キリストの体という存在にリアリティ(現実感)をもってとなっていくのだなと教えられています。
とわ言え、今の新型コロナウィルスが感染拡大しつつある現状の中、小金井市からも10名以上の感染者が起きている現実はしっかりと受け止めなければなりません。そして、決して教会がクラスターになることがなく、地域の方に不安感を与えないように努めなければなりません。また、まだはっきりとした方針が出ていませんが国の非常事態宣言が延長される可能性もあります。ですので、もうしばらく礼拝に集まることは自粛しなければなりません。
今は受難の時ですが、信仰の模範であるイエス・キリスト様を見上げながら、激しい迫害の中にあっても信仰を守り抜いた初代教会の聖とたちのことを思いつつ辛抱しつつ頑張りたいと思います。
詩篇23篇
ダビデの歌うた
1 主はわたしの牧者であって、わたしには乏とぼしいことがない。
2 主はわたしを緑の牧場に伏ふさせ、いこいのみぎわに伴ともなわれる。
3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正道みち導かれる。
4 たといわたしは死の陰の谷たにを歩とも、わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共ともにおられるからです。
あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
5 あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け,
わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
6 わたしの生きているかぎりは
必らず恵みといつくしみとが伴なうでしょう。
わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
4月23日
牧師 濱和弘