2022年9月16日金曜日

大切なあなたへ

         「大切なあなたへ」

孫が生まれて、娘が孫を連れてしばらくの期間を過ごすために帰ってきました。生まれて一週間足らずの赤ん坊は実に小さく、その指などはまるで人形の指のようです。しかし、どんなに小さくても、その部分部分は完全です。まぎれもない一人の存在として、それこそ小さな寝息を立てながら、母親の腕の中で眠っているのです。                 

 私は、その孫の姿を見ながら、何とも不思議な気持ちになりました。もちろん、その気持ちは私の三人の子供が生まれたときにも感じたものだったのですが、子供たちが成長し、私自身も日々起こってくる様々なことで忙しくしている中で忘れてしまった不思議な気持ちです。

 本当に壊れてしまいそうな小さな赤ん坊です。けれども、そこには紛れもない人間が存在している。けれども、その紛れもない人間は、自分では何もできず、ただ周りの人間に頼り、身をゆだね、身を横たえているだけなのです。人間として何かができるというわけではないのですが、そんなことはどうでもよい。ただ、その赤ん坊がそこにいるだけで、心が温かくなり、気が付いたら微笑んでいるのです。

 昔読んだ本に中に、キリスト教の信仰において大切なことは、doingではなくbeingであるという内容が書いてありました。私はその言葉に深い感動を覚えました。Doing、すなわち何かを行うこと、何かを成すことではなく、Being、つまり存在すること、あなたが「いる」ということが大切なのだというのです。

 まさに、そこに「あなた」が存在している。そこに「あなた」が存在してくれている。「あなた」が「いる」ということは、どんなに大切なことであり、素晴らしいことであり、喜ばしい嬉しいことなのでしょうか。

 旧約聖書の出エジプト記3章14節に次のような言葉があります。

神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。

旧約聖書のほとんどの言葉がヘブライ語で書かれていますが、この「有る」という言葉は、ヘブライ語では「ハーヤー」という言葉です。英語に訳すとBeです。ですからこの「「わたしは、有って有る者」という言葉の意味は、私たちを存在させるのは神である。私たちをかけがえのないBeingとしてくださっているのは神というお方なのです。

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