「あなたは私と共にパラダイスにいる」
今週は、イエス・キリスト様が十字架の上で語られた言葉について、お届けしています。その言葉のひとつに、「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、私と共に、パラダイスにいます。」という言葉があります。
パラダイスって聞くと、なんだか南の楽園ってイメージがあるじゃないですか。確かに、パラダイスって言葉には、常夏の島で、なんだかの~んびりと過ごしている、そんな響きとイメージがありますよね
このパラダイスって言葉は、塀にかもまれた庭園のことなんです。わざわざ塀に囲まれるているわけですから、それは特別な庭であり、憩いの場ですから、南の楽園とイメージ的には重なりますよね。
この特別な庭園であるパラダイスを、キリストは天国と言うことの譬えで使ったんですね。ですからキリストが、きょう「あなたは私と共にパラダイスにいます。」ってことは、きょう、あなたは私と一緒に天国にいますよ。」ってことなんです。
ところが、キリストが、この「あなたも私と一緒に天国にいますよ。」と言った相手は、なんとキリストと共に十字架にはりつけられていた犯罪人、それも強盗だったんです。
十字架にはりつけになっているということは、死刑になっているということですから、キリストは、強盗を働いて死刑に処せられている人に向かって、あなたはきょう天国にいるよって、そう言うんです。
十字架にはりつけになるわけですから、手足を太いくぎで十字架に打ち付けられる。当然痛いですし、そりゃもう苦しい。おまけに、死刑ですから、近づいてくる死の恐怖で、苦しみのたうちまわっている。
そんな中で、強盗はイエス・キリストに「神のひとり子であるキリスト様、あなたが天国に生き、天国に王になられたら、私のことを思い出してください、そして憐れみを掛けてください。っと」そう願い求めたんですね。
その願いに、答えて、「きょうあなたは、十字架について死ぬだろうけど、安心しなさい、あなたは私と一緒に、間違いなく天国にいけるよ」って、キリストはそうおっしゃったんです。
これは、今、死の苦しみの中にある人に対して、気休めとして語られた言葉なんかじゃない。だって、キリストもまた、この強盗と同じ用に、十字架にはりつけられ、苦しみのきわみのなかにあるんですもの。本来なら人のことなど、かまって入られないようなじょうこうにあるんです。
でも、キリストは、体が傷つけられる苦しみを味わい、近づいている苦しみを、あの強盗と同じように味あわれた。ですから、彼の痛みや苦しみや苦悩をしっているんですね。だからこそ、その痛みや苦しみ、苦悩の中から、救いを求める彼の声を聞き、憐れみの手を差し伸べられたんです。
そして、あなたの苦しみを私が一緒に味わったように、今度はあなたが私と一緒に、憩いの楽園の喜びを味合うのだよ。ッてそういわれるんです。
痛みや苦しみそして苦悩、それは何も十字架にはりつけになるってことだけじゃないですよね。普段生きていく中でも、様々な痛みや苦しみに合う、そして体に受ける傷の苦痛だけでなく、心がきづつけられて激しい痛みを感じることがあるんじゃないでしょうか。
そのような中から、私たちが、イエス・キリストに救いを求めるならば、あの強盗と同じように、キリストは私たちに「あなたも、私と一緒に、天国という楽園の喜びを味わうことが出来るよ」とそうおっしゃってくださるんですね。
キリストは、天国の王様ですから、王様が「私と一緒に天国に連れて行ってあげる」と言う以上、強盗であろうと誰であろうと、天国に行くことが出来ます。もちろん、あなたもです。
本当なら、パラダイスである天国は、誰も入ることの出来ない特別な場所です。でも、自分の犯した罪や、心の汚れ、醜い心などを悔い、キリストに罪の許しの憐れみを求める者は、みんな天国に行くことが出来るんですね。
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