全部忘れちゃった・・・健忘症の話じゃないですよ。
実はね、私はこの年になっても、おもちゃ屋が大好きで、町でおもちゃ屋を見かけるとふらふらっと入って言っちゃうんですよ。そこでね、この前も、やっぱりおもちゃ屋を前を通り過ごすことができないで、誘い込まれてしまいました。
そこは、かなり大きなおもちゃ屋でしたが、そこで、おばあちゃんが、孫娘を連れてきていました。かわいい孫に何か買ってあげようっていうんでしょうね。ほほえましい風景です。
ところが、そのとき、その4,5歳ぐらいの女の子が、しっかりとおもちゃを握りしめて、おばあちゃんに、「この前もらったお金は、いちっばん欲しいものを買うために大切に取ってあるの」てそう言っているんです。
用は、「自分のお金は、いっちっばん欲しいものを買うために取ってあるから、このおもちゃはおばあちゃん買って」っていいたいんでしょうね。そんな孫娘に、そのおばあちゃんは微笑を絶やさずに、「でもおまえ、この前も、そんなこと言っていたけど、その大切に取ってあるお金って、もうとっくに使っちゃたじゃない」ってそう言ってました。
どうやら、その子は、自分がすでにお金を使い切っていることを忘れてしまっていたようです。まぁ、こんな年端の行かない子供ですから、仕方がないといえば言えないのですが、でも、子供であろうと、大人であろうと、人間、都合の悪いことは決して忘れないものですよね。借りたお金なんてけろっと忘れてしまっていたりして。
反面、人のした悪や自分に対してされたひどい仕打ち、あるいは恨み言などは決して忘れないものです。だからこそ、そろそろこの時期になってきますと、毎年のごとく、怪談話がテレビや映画に登場してくる。「このあの世でも決して忘れず、末代までたたってやる」ってね、決して忘れない。
ところが、聖書には、神様は、神様の心を痛め、悩ませた「私たちの犯した罪」をみんな忘れてくれるっていうんです。もちろん、私たちが、神様の心を痛め、悩ませたんだって言いたい気持ちはわらないわけではありません。
でも、私たち人間が、人を憎んだり、恨んだり、ねたんだりするといった心。どんなに表面上は取り繕っていても、そうった心が、私たちの中にあるならば、そのことに神様は「心を痛め、悩み、悲しんでおられるのです。聖書は、そう言った心を含んで「私たちの犯した罪」って言うんですね。
もちろん、心の中だけでなく、実際に何か犯罪を犯したり、人と激しく争ったりするようなことがあるならば、それは言うまでもないことです。
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