2020年5月2日土曜日

分断ではなく穏やかな心をもって


分断ではなく穏やかな心をもって

 ゴールデンウィークに入りましたが、世の中はStay Home(ステイホーム・家で過ごそう)ということで、外出を自粛する日々をですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
 教会での礼拝出席も、信徒の皆様に自粛をお願いして2か月近くなろうとしています。しかし、いつこの状態が解消されるかは、いまだ目途が立たない状態ですし、政府の緊急事態宣言も延長される方向にあると聞きます。ですので、私区たちの教会では、更に礼拝出席への自粛をいたします。。従いまして、次週(510日)の礼拝も、各自家庭で礼拝を守る形で行ってください。
先週は、礼拝の動画を挙げる際にミスが起こり、礼拝の動画を挙げる時間が25分ほど遅くなってしまいました。みなさんにご迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ございませんでした。今週は、通常通り10時半には見られるように努めますのでよろしくお願いいたします。

 この新型コロナウィルスという疫病が世界中に広がっている状況について、キリスト教の世界は、この状況をどう受け止めたらよいか、戸惑いの中にあります。ジョン・パイパーというアメリカの改革派の指導的な牧師は、この事態は神からの警告なので、私たちは悔い改めの心をもってこの事態を受け取るべきである旨の主張をしています。
 それに対して、私が説教で何度かご紹介したN.T.ライトという新約聖書学者は、このような事態がなぜ起こったのかは、誰にもわからない。だからそれを詮索するのは止めて、このような事態の中で、私たちはいかに行動し、いかに生きるべきであるかを考えるべきだと言います。
 私は、個人的にはN.T.ライトの主張の方が正しいように思っています。その上で、なぜこのような事態が起こっているかはわかりませんが、悪魔はこのような事態を利用して、私たちと神との関係を分断し、また人と人との関係や私たちクリスチャン同士の絆を分断させようとしているように感じています
 かつて、14世紀にヨーロッパでペストが流行したときに起こったことは、まさに、そのような事でした。教会への信頼性が損なわれ、デマが流布し、そのデマによって多くのユダヤ人が虐殺されるという出来事が起こりました。そして、今の状況を見ますと、様々な流言があり、どこからこの新型コロナウィルスが起こったのかと言うことで、中国とアメリカとの間で互いに非難し合う言葉が飛び交っています。
 そのようなときだからこそ、私たち主イエス・キリスト様にあるキリスト者は、しっかりと神の言葉に留まり、和解の福音を生きることが大切です。たとえ一緒に集まって礼拝することができなくても、家庭で礼拝をしっかり守り、神の言葉に耳を傾けて聴き、神の言葉の前に静まる時を持ち、神に祈る時を持つことが大切です。

 この礼拝への出席を自粛する状態がいつまで続くのかは誰にもわかりません。その意味で出口はまだ見えていない闇の状況です。しかし、私たちには、光である神がいらっしゃいます。そのことを覚えながら、大変ですが、穏やかな心をもって、家庭礼拝を守り、神の前に、キリスト者として節度を守り歩んでいきましょう。

   初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。
                    
 ヨハネによる福音書11節から5

202051

                                濱 和弘

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