「アガペーの愛」
聖書にはこういう言葉があります。「妻たちよ、あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。教会がキリストに従うように、妻も、すべての事において、夫に従うべきです。」
なんだかこう言いうと、聖書っていうのは、時代錯誤の男尊女卑のように見えますよね。でも、そうじゃないんですよ。
というのも、夫には「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のためにご自分をささげられたように、あなたも自分の妻を愛しなさい。」ともいっているからなんです。
この「妻を愛しなさい」の「愛」という言葉は、新約聖書のもともとの言葉であるギリシャ語をみると、アガペーという言葉が使われています。
アガペーという愛は、無償の愛と訳される言葉で、相手のことを思い、相手の為には何の報いも求めないで、自分の命までも与えてしまうような愛のこと。イエス・キリストが、人々の罪のために命を投げ出して死なれたその根底にあったのが、このアガペーと言う愛です。ですから、このアガペーの愛は、神様が人を愛する愛であると言えます。
キリストは、私たちが、神と人の前で、生き生きと生きて行けるようにと、十字架の上でご自身を捧げ、そして死んでいかれました。
それと同じように、「夫は、『自分の妻が生き生きと生きていけるようになるためには、自分の命を投げ出してもかまわない』というぐらいに、妻を愛さなければならないよ。」と聖書はそう言うのです。
そして、「夫から、そんなふうに愛されたら、妻たるあなたは、夫の言葉に耳を傾け、その言葉を聞いて従うことが出来るだろう?」って聖書はそう言うんですね。
それは、夫が一方的に妻を支配していた2000年前の時代に、「夫婦が愛しあうということは、どちらかが相手を支配することではない。本当に愛するとは、相手の事を思い、相手が生き生き生きられるようにしてあげることなんだよ」と教えるためだったのです。
でも、そう教えられたって、そう簡単にできることじゃないですよね。不可能って言ってもいい感じさえします。
ところが、この不可能に思われるようなことをキリストはして下さったんです。たとえば、人々から、蔑まれ、罪人といわれていたような人々の所に行って「子よ、あなたの罪は赦された」って、そういって一緒に寄り添い、食事をなさられたのが、キリストというお方です。
そのような愛で、キリストはあなたを愛しておられるのです。そのキリストの愛にふれたなら、私のような者でも、キリストのようにまでは行かなくとも、少しづつでも人を愛せる者に変えられていく。そんな希望を持っているんです。
ですから、この、あなたを愛しているというキリストの愛を、あなたにも知って欲しいってそうおもいます。そして、あなたの人生を実りある豊かなものにして欲しいってそう思うんです。
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