2023年4月19日水曜日

復活の希望

               「復活の希望」

この春。私は復活祭を挟んで立て続けに、三名の方の訃報に接することになりました。このような訃報に触れるたびに、イエス・キリスト様の復活という出来事がもつ希望のメッセージに思いを馳せます。とりわけ、今回は復活祭の前後でもありましたので、この復活の希望ということについて考えさせられました。

 この希望ということを神学の中心に据えたのが、ユンゲル・モルトマンと言う神学者です。モルトマンは「希望の神学」というタイトルの書物で世に出てきました。その本の中でモルトマンは、「十字架に架けられたイエスは、復活なさったイエスである」という命題を立てます。これは、教会は、イエス・キリストの十字架の死という出来事を注視し、キリスト教における救いの出来事を十字架の出来事にのみ集中して語るけれども、その十字架の上で死なれたイエス・キリストは復活なさったおかたでもあるのだといって、十字架の死以上に、復活の出来事に目を向けるべきであるというモルトマンの主張を言い表したものです。

 私は、このモルトマンの主張を、「私たちキリスト者は、『今、ここで』の私ということに目を向けて生きている。もちろんそれも大切だが、しかしもっと私たちの将来に目を向け、そこに希望を見いだして生きて行こう」と言うメッセージでもあろうと受け止めています。私たちの生きている「この世」という世界には、楽しいこともあればうれしいこともありますが、厳しい辛さや苦しみと言ったものの多くあります。幸い、日本という裕福で豊かな国に住んでいますと、戦禍のなかにあるウクライナの人々や、激しい弾圧と圧政下にあるミャンマーの人たちのような苦しみを経験せずに日々を過ごすことができます。また、最貧国と呼ばれる国々は、今でも上や貧困にあえぐ人たちが多くいます。難民となった人たちも貧困にあえいでいます。世界銀行の発表では7億3600万人のひとが極貧状態にあるというのが現在の世界の状況なのです。そして、私たちの国日本でも格差社会が広がり、7人に一人の子供が、食べるのにも窮する貧困状態にあると言われます。このような世界は、神様が決して望まれた世界ではありません。それは、罪によって歪み壊れてしまった世界なのです。

 私たちひとり一人のキリスト者には、神様から復活という将来の希望が与えられています。そして、その将来の希望に向かって、今と言う時を生きています。それと同じように、神様はこの歪み、壊れてしまった世界に将来の希望を与えておられます。それは、神ご自身が神の愛と恵みによって支配する神の王国の完成です。そして、教会は、その神の王国の完成のための今になっているのです。そしてキリスト者とされたは、その神の王国の今を担う者として、将来の希望を実現に至らせるために教会に集められているのです。。

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