2020年4月24日金曜日

「霊と肉」


霊と肉

 東京の新型コロナウィルスの感染者数は、一時と比べると若干の現象は見られますが、相変わらず100人を超える新し感染者が出ており、まだまだ終息には時間がかかりそうですが、皆様、一週間の間お変わりありませんか。
 今週は私たちの教会に属する愛する兄弟が手術を受けると言うことで、みなさんにお祈りいただきましたが、この手紙を書き始めた少し前に、久子姉より、無事に手術が終わりましたとの連絡を受けました。9時から始まり15時近くまでの長丁場の手術ですが、神様に守られたことを覚えます。
 しかし、まだこれから術後の回復のための治療と期間が必要です。周りの情勢は新型コロナウィルス騒動で大変な状況下ですので、どうぞ引き続き兄弟と看護するご家族の上に、神様の恵みと支えとが注がれますようお祈りください。
 こうして、長く礼拝に集えないという状況の中で、私は「霊と肉」ということを考えさせられています。長いキリスト教会の歴史においては、この「霊と肉」というものについて、いろいろと考えられてきました。そのような中で、いつも霊が肉と比べそり優れたものであり、人間の肉、つまり肉体は霊よりも劣るものであるようにとらえられてきたように思います。
 場合によっては、プラトン哲学の影響もあり霊と肉とを二項対立的構造の中で捉えてしまい、肉体を人間にとって割るものであるかのように考えていた時代もありました。それがもっとも醜悪な形で表れたものがグノーシス主義と呼ばれる、初期のキリスト教の異端的思想でした。
 しかし、人間の肉体も神様の創造の業であり、人間の霊も肉体と言う器なしには存在し得ないものであると言うことを、現在の教会にみんなが集まって礼拝できないという状況の中で痛切に感じています。そして、みなさんが、心だけではなく、体をもって教会に集まり、礼拝する中で、皆さんの息(聖書言語のヘブル語もギリシャ語も霊と言う意味を持つ)を感じる中で、単に理念としてでなく、本当に一つの共同体、キリストの体という存在にリアリティ(現実感)をもってとなっていくのだなと教えられています。
 とわ言え、今の新型コロナウィルスが感染拡大しつつある現状の中、小金井市からも10名以上の感染者が起きている現実はしっかりと受け止めなければなりません。そして、決して教会がクラスターになることがなく、地域の方に不安感を与えないように努めなければなりません。また、まだはっきりとした方針が出ていませんが国の非常事態宣言が延長される可能性もあります。ですので、もうしばらく礼拝に集まることは自粛しなければなりません。
 今は受難の時ですが、信仰の模範であるイエス・キリスト様を見上げながら、激しい迫害の中にあっても信仰を守り抜いた初代教会の聖とたちのことを思いつつ辛抱しつつ頑張りたいと思います。
                 詩篇23

ダビデの歌うた

1 主はわたしの牧者であって、わたしには乏とぼしいことがない。
2 主はわたしを緑の牧場に伏ふさせ、いこいのみぎわに伴ともなわれる。
3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正道みち導かれる。
4 たといわたしは死の陰の谷たにを歩とも、わざわいを恐れません。
  あなたがわたしと共ともにおられるからです。
  あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
5 あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け,
  わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
6 わたしの生きているかぎりは
  必らず恵みといつくしみとが伴なうでしょう。
  わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。


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                             牧師 濱和弘

2020年4月20日月曜日

みなさまへ


皆様へ

 新型コロナウィルスの感染拡大の防止のために、公の礼拝を自粛するという方針を立て、それを実行し初めて1か月近くが過ぎようとしていますが、みなさんお変わりありませんでしょうか。
 牧師もその家族の共に特に大きな変化なく過ごしておりますのでご安心ください。また、みなさんの中で、体調がすぐれないとか、祈って欲しい課題とかはございませんでしょうか。ございましたら、どうぞご連絡ください。
 一か月も皆さんのお顔を見ておりませんと、なんだかとても寂しいような気がします。改めて、教会は、神によって結び付けられた人と人との繋がりによる共同体なのだなと言うことを痛感しています。また、毎週土曜日、皆様方がいらっしゃらない会堂で礼拝を執り行っていますと、礼拝とは決して個人的なものではなく、教会と言うキリストを頭とする共同体の業なのだと言うことを思い知らされます。まさに、教会は礼拝共同体なのです。
 そのことを思い、日曜日の通常礼拝が行われる時間には、教会のホームページで流される礼拝の様子に合わせ、私もそ服牧師も、また撮影をして下さる方も含めた3人でみなさんと共に礼拝に与っています。
 このような、共に集まっての礼拝を自粛するということがいつまで続くのかと思わされます。一応56日の緊急事態宣言の解除が目安となっていますが、現実の状況は予断を許しません。状況によっては、緊急事態宣言が解除されても、自主的に自粛する判断をしなければならないかもしれません。その意味では先の見えない戦いです。
 しかし、私たちの主は、必ず私たちが共に集まり、主の前に礼拝するその時を与えてくださいます。ですから、今の時は、どうぞ忍耐し、希望を与えてくださる主を仰ぎ臨みましょう。

9:この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなたがたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。10:あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。

 ペテロ第一の手紙5910節の言葉です。神の言葉を約束として信じ、共にこの困難な時を乗り切っていきましょう。今週も、日曜日には礼拝の動画を見ることができます。また見ることができない方も説教の原稿と週報をお送りいたしますので、家庭礼拝のためにお用い下さい。

2020年4月9日木曜日

緊急事態宣言を受けて、私たちの教会の対応

緊急事態宣言に対する日本ホーリネス教団の対応について

【第5報】新型コロナウイルスの感染拡大を受けてのお願い

主の聖なる御名をたたえます。
 すでに報道にありますように、新型コロナウイルスの感染拡大が危機的状況に陥り、今週7日、ついに7都府県に対して緊急事態宣言が出されました。これに対して、すでにそれぞれの教会において対応策を考えておられると思いますが、教団としましても、改めて以下のようにお願いをいたします。

1.緊急事態宣言が出された地域にある教会の対応について
・これまで教団としましては、各自治体から出される週末の外出自粛要請に対しては、「教会員が集まる礼拝形式は避けていただく」ことをお願いしながらも、あくまで各教会の判断に任せることとしてきました。
・しかし、今週出された緊急事態宣言への対応につきましては、対象の地域にある教会では、教会員が集まる礼拝形式は速やかに中止してくださるよう強く勧告いたします。これは教会員を感染から守るためであり、また全国的な感染拡大を抑えるために、その地域にある教会としての極めて重要な姿勢です。教会の近隣住民の方々は、教会がこれまでと変わらずに集会を続けていることに対して、大きな不安を覚えておられます。自分たちの通常の信仰スタイルを貫こうとすることによって、教会が地域住民に大きな不安を与えたり、感染を広げる源になったりするようなことがあっては決してなりません。緊急事態宣言が出された地域にあっては、教会に集まる形の礼拝を中止してくださるよう、改めて強く要請いたします。

2.それ以外の地域にある教会について
・現時点では、緊急事態宣言を出すには至っていない地域であっても、感染が徐々に広がっていることと思います。都心に比べると、感染拡大の時期が遅れているだけのことであって、そのうち地方にも感染拡大の波が及んでいくと言われています。
・そこで、まだ時間的な猶予がある今のうちに、教会に集まることができなくなった場合の対応策につきまして、至急検討してくださるようお願いいたします。

3.牧師が感染した場合の対応策の検討について
・都市部を中心に、感染源が分からない感染者が急速に増えております。このため、細心の注意を払っていても、残念ながら牧師が感染してしまうケースが出てくることも予想されます。主の守りと助けを祈り求めながらも、もし牧師が感染した場合、その後の礼拝をどのようにするか、事前に検討しておくことが教会に求められるリスク管理として非常に重要です。
・ある教区では、礼拝のライブ配信を始めている教会同士で約束し、一方の牧師が感染した場合、もう一方の牧師によるライブ配信を一緒に視聴できるように取り決めています。知らない教会の牧師のメッセージを視聴するよりも、教区内の牧師によるライブ配信を視聴することにより、教区内で一緒に礼拝をささげる恵みを味わうことができます。
・それぞれの教区や地域によって、対応できる方法は異なることと思いますが、教区内の近隣の教会が互いに助け合いながら、教会員の礼拝生活がなんとか守られるように、ご検討くださるようお願いいたします。

4.その他
・夏季聖会やキャンプをはじめ、教団主催の諸行事をどうするかにつきましては、4 月 14 日(火)にインターネットを利用して行われる執行部会議、各局会議、教団委員会にて協議いたします。決まりましたら、改めてお知らせいたします。
・牧師給(最低謝儀)の支出が困難に陥っている教会に対する支援につきましても、14 日の教団委員会にて協議いたします。もうしばらくお待ちくださるようお願いいたします。
息が詰まるような重たい空気に覆われている私たちの世界ですが、主イエスが私たちのために十字架にかかってくださった大きな恵みを覚えながら、喜びのイースターを迎えたいと思います。このときも、父なる神が私たちの世界を憐れんでくださり、爆発的な感染拡大をとどめてくださるように。また、医療従事者をはじめとする多くの方々の働きが支えられますように。
皆さまの教会の上に、主の守りと祝福がありますようお祈りいたします。

「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている。」
(ヨハネ 16 章 33 節/聖書協会共同訳)

主にありて

2020年4月2日木曜日

礼拝は不要不急なものか。


  新型コロナウィルスによる緊急事態の中で問われる礼拝は不要不急な事柄か

いかがお過ごしですか。今週(45日)も先週と同じく、教会に集まって礼拝するのではなく、各家庭で礼拝を守っていただきます。また、来週(412)も同じく、家庭での礼拝をお願いいたします。
みんなで集まって礼拝できないストレスをお感じだろうと思います。わたしもそうです。
でも、もうしばらくは我慢してください。みなさんが感染しないためでもあり、また教会が感染源とならないためですので、どうぞ辛抱してください。
 そのため、日曜日の10時半にはパソコンあるいはスマートホンで小金井福音キリスト教会のホームページにある今週の説教のコーナーからその日の礼拝が見られるようにしてありますのでご利用ください。
ところで、フロリダのメガチャーチの牧師さんが、外出禁止令にもかかわらず礼拝を持った(大勢の信徒が集まった)ことで、逮捕されたと言うニュースがありました。unlawful assembly and a violation of health emergency rules(健康に対する緊急事態法違反と違法的集会)という罪状だそうです
現在の情勢の中、礼拝を休まず強行する論理として、礼拝は不要不急なものではないと言うものがあるようです。ここでみんなで集まる公の礼拝を休止したら、それこそ礼拝は私たちの生活の中で、不要不急なものであると言うことを認めることになると言うわけです。
しかし、「今の時節」における礼拝に集まることを自粛する行為は、礼拝を不要不急の行為として認めることではなく、「あなたの隣人を愛せよ」というイエス・キリストの言葉を実践するものであり、それこそが絶対急務の事柄であって、礼拝を礼拝として実践することだと思います。それはまさに、イエス・キリスト様が譬えとして語られた「安息日に井戸に落ちたものを助ける行為」(ルカ145)だと言えるでしょうね。
カトリックの礼拝(ミサ典礼)の中心は、キリストの最高の奉仕を捧げるであると聞きます。つまり、礼拝はイエス・キリストの十字架の死という愛の業を、神に対する最高の奉仕として捧げるためのものなのです。だとすれば、愛の行為として公のミサに出席しないことは礼拝の本質を全うしていることになります。

 それに対して、プロテスタントの多くの教会の礼拝は説教を聞き、神の恵みに与ることを中心に行われます。神の恵みに与り、神の恵みによって自らを神に奉げ、神の言葉に生きるところにプロテスタントの礼拝の本質があると言えるでしょう。
 神の言葉に生きる。それは神の言葉(ロゴス)そのものであるイエス・キリスト様に倣って生きるということ。そのイエス・キリスト様の生涯は、「あなたの隣人を愛せよ」の完全な成就です。つまり、今の新型コロナウィルスの感染が拡大という情勢の中、プロテスタントにおいても、礼拝堂おける公の礼拝にあえて集まらないということは、礼拝の本質を全うしていることであると思います。

 むしろ、このような時節に、周囲の状況を顧みずに、礼拝は不要不急の行為ではないと言って礼拝に集まるように求める事は、逆に礼拝の本質を見失っていると私は考えます。
 私たちは今、礼拝に集まることができません。しかし、それはキリストの愛に倣い、隣人を愛するが故のことであり、私たちが礼拝に集まりたい気持ちを、一旦抑え、今の情勢という特別な状況下のもとで各家庭で礼拝をおこなうことで、私たちは礼拝の根底にあるキリストと一つになると言う礼拝と教会の本質を生きているのです。
 だから、みなさん。希望をもって頑張り、ちゃんと家庭で、また一人であっても礼拝しましょう。

2020年3月26日木曜日

日本ホーリネス教団の新型コロナウィルス対応について



 日本ホーリネス教団の新型頃ウィルスの対応について

私たちの教会は日本ホーリネス教団に属しています。
また、教会論的には日本ホーリネス教団が一つの教会であり、私たちはその日本ホーリネス教団という幹となる教会に繋がる枝である教会です。
ですから、基本的に日本ホーリネス教団の決定に枝である教会は準じます。
今回、新型ウィルスの対応について、教団から以下の連絡がありました。
これに基づいて、東京地区に外出自粛要請が出ている間は、信徒の皆様は、外出を自粛し、それぞれの家庭で礼拝を守っていただくことにします。
なお、自粛中も教会での礼拝は継続して行われます。その礼拝の様子は通常の礼拝時間に合わせて見られるようにいたしますので、どうぞご覧ください。
 以下、教団からの通達の内容です(一部省略)。

2020326
全国の牧師先生方へ
日本ホーリネス教団
委 員 長 島津 吉成
総務局長 佐藤 信人

第3報・新型コロナウイルスの感染拡大を受けてのお願い

主の聖なる御名をたたえます。
 新型コロナウイルスの感染がさらに拡大し、収束の見通しが全く立たない状況が続いています。各教会や教区におかれましては、4月からの新年度の活動をどのようにすべきか苦慮しておられることと思います。
 そこで、今後の対応策につきまして、教団としての指針を下記のように提示しますので、それぞれの状況に応じて、適切な対応を取ってくださるようにお願いいたします。

1.教団本部各局・各委員会の会議等について
・感染が落ち着くまでは、当面の間は集まっての会議は控え、インターネットを用いての会議に切り替えてくださるようお願いします。(以下省略)

2.教区の諸活動について
・4月に入り、教区の牧師会や教区総会等の開催を予定している教区も多いことと思います。すでに教区会の中止を決定された教区もあるようです。感染の状況が地域によって異なりますので、全国一律に同じ決定を強いるわけには参りませんが、教区の諸集会も、どうしても顔を合わせなければならない特別な事情がある場合を除いて、集会そのものを中止するか、あるいはインターネットを利用しての会議に変更してくださるようお願いいたします。
・特に、聖会など大勢の人数が集まる集会は、影響の大きさを鑑みて、勇気をもって中止(あるいは延期)してくださるよう強く要請いたします。

3.兼牧の奉仕について
・兼牧をしておられる先生方の中には、かなり遠くの教会の兼牧をしておられる先生方、あるいは比較的近隣であっても、公共交通機関を利用して奉仕に行く先生方がおられることと思います。その移動に伴い、様々な場所に感染リスクが存在しますので、感染が落ち着くまでは、兼牧先の教会での奉仕を見合わせるという対応も検討してくださいますようお願いいたします。



4.感染者が出た場合の対応について
・残念ながら関係者の中に感染者が出てしまった場合、礼拝を含む全ての集会を休止し、管轄の保健所の指示に従ってください。
・新型コロナウイルス感染症は指定感染症になっており、無症状であっても指定医療機関への入院措置となります。もし牧師、教会員、関係者の誰かに感染者が発生した場合、教会の行動は、教会で決めることはできず、保健所の指示に従うようになります。関係者が濃厚接触者となった場合も同様です。
・もし、感染者が出た場合、速やかに(省略)ご連絡くださるようお願いいたします。

5.外出自粛要請などが出された場合の対応について
・東京都は3月25日、「週末に不要不急の外出を控えるように」との要請を出しました。今後、他の地域でも同様の外出自粛要請が出されることが考えられます。
・私たちキリスト者にとって、礼拝はいのちの源であり、何ものによっても妨げられるべきものではありませんが、その一方で、教会員だけでなく、その家族や一般市民にも感染リスクを与えるような行動は控えるべきであろうと思います。
・それゆえ、外出自粛等の要請が出た地域は、教会に集まらない形を取るようにお願いします。インターネットを利用しての礼拝ライブ配信、説教文書をメールやFAXで配付する、メッセージを録音した音声ファイルをクラウドにアップする等、それぞれの教会にとって取り得る対応をご検討ください。
・省略
  
御子キリストを与えるほどにこの世を愛された神が、私たちの世界を深く憐れんでくださり、感染の拡大をとどめてくださるように。また、医療従事者をはじめとする多くの方々の働きが支えられますようにお祈りいたします。
皆さまの教会の上に、主の守りと祝福がありますようお祈りいたします。
主にありて 

2020年3月4日水曜日

未知との遭遇

「未知との遭遇」

 私が中学生の頃、教科書に、「なぜ蛇が怖いのか」という文章がありました。
それによると、蛇の怖さは日常性が欠如しているためだと言うんです。蛇が普段どんな生活をしているかなんて、私たち、ほとんど知りませんよね。その蛇が、突然、石垣の間からにょろにょろと出てくるからこそ、びっくりするんじゃないですか?そして、それは幽霊が恐いと思うのと同じなんだっていうんです。

 確かに、幽霊も普段は何をしているのかわかりません。その何をしているのかわからない幽霊が、突然どろどろと現れてきて、「うらめしや」とのたまうからこそ恐んだって言うんです。仮に、幽霊の普段の生活、たとえば食事のおさんどんや、編物なんかしている姿を知っていたら、どろどろと現れても、恐いどころか「忙しいところ、ごくろうさん」と声をかけたくなってしまいます。

 まさに、幽霊の出現とともに、私たちの目の前に、私たちの知らない世界が繰り広げられる、予期せぬ未知と遭遇するわけですこの「未知との遭遇」という経験が、私たちに恐ろしさを感じさせるんですね。

 いきなり知らない世界に放りだされる恐怖。それは、死というものが与える恐怖に似ています。人間、死んだ後は一体どうなるんでしょうか?結局それは、私たち知りようのない世界です。私たちは死というものを通して、経験したことのない、全く新しい未知の世界に放り出されるのです。ここに、確かに死の恐怖があるといえます。

 しかし、逆から言えば、死んだ先に何があるのかさえ分かってしまえば、もう死は怖いものではなくなるということです。仮に、そこに私たちを震え上がらせるような事があったとしても、何があるかさえ分かっていれば、対処のしようもあるというものです。

 聖書には、人が死んだ後に、誰もが神の裁きの座に立たされるとあります。私たちの行いや、心に汚れがあるならば、それがどんなに小さなものであったとしても、その罪のゆえに神の裁きを受けなければならないって言うんですね。けれども、キリストを自分の罪の救い主と信じるならば、その裁きの座で、キリストが私たちを弁護し守ってくれるとも言うんです。私たちの罪が赦されて、裁かれるどころか逆に天国に確実に行けるというわけです。もし、私たちがこのことを信じるなら、死はもう恐いものではなくなくなります。

 ですから、キリスト教の信仰は、死の恐怖から私たちを解き放つ信仰だといえます。それは、病の中にあろうと、老いていく中にあろうと、私たちに前向きに生きていく力と勇気を与える信仰でもあるのです。
              

2020年2月17日月曜日

恵みに包まれて生きる


恵みに包まれて生きる

以前私が勤めていた教会では、それぞれのご家庭に集まって、聖書のことを学ぶための集会がありした。その集会の中の一つに、93歳のおじいちゃんが、出席して下さってたのですが。そのおじいちゃんは、長いこと農業をなさっておられたんです。 
もちろん、もう引退なさっておられるんですが、そのおじいちゃんが、こうおっしゃるんですよ。「私はね、いまでも畑に立つとスキッとするんですよ」って。

そう言えば、以前、本で読んだかラジオで聞いたのか忘れましたが、亡くなられて行く方の中で、穏やかなお顔で亡くなられていく方いちばんが多いのは、農家の方だって言うんです。 
ほら、農家の方は、自然が相手でしょ。どんなに努力して頑張っても、最後は天候や気候により頼まなければならない。そして、だからこそ自然の恵みに包まれながら生きている。ですから、きっとそのような大自然の中で、自然の恵みに包まれていきていることが、人生の結末においても、穏やかなお顔をさせるんじゃないかなって、そう思います。

そう言うわけで、あの93歳のおじいちゃんが、「今でも畑に立つとスキっとするんですよ」とおっしゃるのは、畑に立つことによって、この大自然の恵みを体一杯に感じとっているからかも知れませんね。

でも、このことは、とても大切なことを私たちに教えてくれているような気がします。だって、頑張れば頑張るほどいいことがあるって、そう信じ込んでいるようなそんな感じがするからです。
  もちろん、努力するっていうことは、人間の大切な人徳の一つです。ですから、やっぱり努力を怠ってはいけませんよね。でも、どんなに頑張っても人間の頑張りや努力には、必ず限界ってものがあるもんです。
 その限界があることを認めて、どこかで人間の努力や限界を超えたものに、よりたのみながら生きるって事も必要なんじゃないかなってそうおもうんです。ちょうど、農家の人が、大自然の恵みに包まれているようにね。

 旧約聖書には箴言っていう所があります。箴言には、人間が生きていく上で役に立つような格言が書いてあるんですが、この箴言に「心を尽して主により頼め、自分の悟りに頼るな。あなたの行く所、どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」って書いてあります。

 この言葉って、まさに、人間が、人間の知恵や知性を超えた神様を頼り、神様の恵みに包まれて生きていく事の大切さを教えている言葉だと言えるんじゃないでしょうかね。
考えてみれば、「大自然の恵み」といっても、この大自然を神様がお造りになったのだとしたら、結局は、それもまた「神様の恵み」と言うことができます。

私たちが、この宇宙船地球号の中に、一杯にあふれている神様の恵みに包まれていることを、肌身に感じながら生きていけるようになったら、素晴らしいと思うんですよ。 
そう言う私自身、毎日毎日、時間と仕事に追われ、様々な問題の中であえぐように頑張りながら生きてます。だからこそ、みなさんとご一緒に、神様の恵みに包まれていることを忘れないようしたいなってそう思うんです。

そうすれば、きっと毎日毎日が、今までとは違った一日一日になるってそう思うんすよ。