2022年4月11日受難週 月曜日の黙想のために
教会には、クリスマスを迎えるアドベントを年の最初の月として、そこから一年を数える教会歴というものがあります。クリスマスやイースターと言った教会の行事は、この教会歴に沿って行われます。
その教会歴において、今週の日曜日は棕櫚の日曜日と呼ばれる日であり、この棕櫚の日曜日をさかいとして、教会は受難週というものにはいります。この受難週の金曜日が受苦日といって、キリストが十字架にかかられて死なれたことを覚え、時を過ごす教会にとって特別な日です。その受苦日までの一週間を受難週と呼び、一日一日、主イエス・キリスト様が十字架に向かって歩まれた日々を黙想しつつ思い廻らすのです。
その黙想のための手引きとなる言葉を、イムマヌエル教高津キリスト教会の藤本満牧師が書いてくださっていますが、今日の言葉は次の通りです。ぜひ、あなたが心を静めて、神を思う廻らすためにお用いください。
11(月)死に至るまで忠実
「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与える」(黙示録 2:10)
イエスさま、あなたがスミルナの教会へ書き送った言葉を見るたびに、かつてスミルナの教会の牧師であったポリュカルポスを思い起こします。彼は言いました。「私は 84 年間キリストに仕えました。ただの一度も、キリストが私を悪く取り扱われたことはありません」。彼が火あぶりの刑で殉教する直前の言葉でした。
私もいつかは、大変な苦しみに遭うに違いありません。大きな試練に立ち向かうに違いありません。それが病であるのか、大切なテストであるのか、日常的なできごともあるでしょう。
しかし、そのようなときにもあなたに忠実であることができますように力を授けてください。その場面が福音とはまったく関係ない場合であったとしても、あなたが私をいつも支えていてくださることに気がつかせてください。そして、これまでの人生で、あなたはいつも誠実を尽くして私を助けてくださったことを思い起こすことができますように。あなたに忠実であることができますように。
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