2024年1月23日火曜日

命の主権者

 親の遺産を相続するというのは、なかなか厄介なことのようです。それまで仲の良かった家族が遺産相続をめぐって骨肉の争いをするというようなことだってありようです。そして実際に、そのような話を聞いたこともあります。それは、財産やお金というものが、豊かな生活がもたらす安心を与えてくれ、将来の不安を取り除いてくれるように思うからでしょうね。

新約聖書ルカによる福音書十二章十三節以降に、その遺産相続をめぐる争いをめぐるこんな話があります。

 ある時一人の人が、キリストに相談を持ちかけました。その人は、兄弟が自分に、遺産を分けてくれないので、キリストに遺産相続の調停をしてもらおうと思っていたようです。
 キリストは、この人の相談を聞きながら、この人が、自分に遺産が入ってくれば、自分の将来は安心だと思っていることを見抜き、こんなことを言われたんです。「どんな貪欲にも注意しなさい。いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」
 そして、こんな例え話をしました。「ある金持ちが、豊作で何年分もの食料を、蔵一杯に蓄え、心の中で、こう言いました。『これから先何年分もの食料が、たくわえられたから、もう大丈夫。安心して暮していける。』 その時神がその金持ちに語りかけます。『愚かな人だ。あなたは自分のために、これからのために、何年分もの食料を用意したが、お前の命は今日、取り去られる。そうしたら、お前が蓄えた食べ物は誰のものになるのか』」

 この例え話は、将来のために蓄えをすることが愚かなことだと言っているのではありません。将来のために、計画的な準備をすることは決して悪いことではないのです。けれども、キリストは、それだけでは十分ではない、もっと大切なことがあるのだということを教えているのです。それは、神を信じ、神により頼みながら生きると言うことです。

 もともと、この話は、一人の人が自分に遺産が入ってくれば、自分の将来は安心だと思い、キリストに遺産相続の調停を願い求めたところから始まっています。きっと、彼が受け取ることの出来る財産は、膨大なものだったんでしょうね。
 もし私たちが、この人と同じように、膨大な遺産を受け取ることが出来るとしたら、私たちだって、きっと同じように思っただろうと思います。人間は、今も昔も、お金や財産が人の幸せや将来を決めてしまうかのように、思ってしまうものなんですね。
 でも、実際はどんなにお金を積んでも、明日の命が保証されるわけではありません。私たちの命の主権者、お金でもなく、私たち自身でもなく、ただ神だけなのです。だからこそ私たちは、神を信じ、自分の人生を、命の主権者である神に委ねていくことが大切なんですね。

 この命の主権者である神は、私たちの罪を赦すためには、一人子であるキリストを、私たちの代わりに十字架で死なせるほどに、私たちを愛しておられます。だから、生きるにしても死ぬにしても、安心して私たち自身を委ねることが出来るのです。この神を信じ、あなたにも本当の平安を手に入れて欲しいと心からそう願います。

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