2024年1月2日火曜日

揺らぐことのない土台

「新年明けましておめでとうございます」の挨拶を交わしたばかりなのに、大きな地震が私たちの国を襲いました。被災地の方々の不安や恐れ、そして悲しみを思うと、本当に胸が痛みます。そして北陸の寒い気候の中で、どのようにして一夜を過ごされたのだろうかと心配です。食料や水は足りているのだろうか、暖をが取れているのだろうか、救援や救助が一刻も早くなされるように祈って止みません。

 私たちの国は、自信が頻繁に起こりますので、ある程度、地が揺れ動くということに慣れていますが、それでも阪神・淡路大地震や中越大地震、東日本大震災、そして今回の能登半島地震といった大きな地震に直面しますと、さすがに同様してしまいます。ですから、あまり地震を経験したことのない国の人々にとって大地が揺れるということは、とても大きな恐怖をもたらすようです。
 実際、昔、アメリカから来られたの方々と会議をしているときに地震が起こった際、私の体感では震度1か2の小さな揺れででしたが、彼らの驚き用と怯えようはびっくりするほどでした。彼らにとって大地とは決して揺らぐことのないしっかりとした基盤であったようです。その揺らぐことのないものが揺れるということに不安を感じ、怖れを感じてしまったようなのです。
 私たちは、どことなく、当たり前のようにして今ある生活が、毎日当たり前のように訪れるように思っています。しかし、変わらないものなどなく、絶対に揺るぎのない土台など、私たちを取り巻く世界の中にはないのです。
 聖書の中に、イエス・キリスト様がお話になった砂の上に家を建てた人と、岩の上に家を建てた人のたとえ話があります。砂の上に家を建てた人は土台がしっかりしていませんので、雨が降り、川があふれ、強風が来るとすぐに倒れてしまいます。しかし岩の上に家を建てた人は、そのような災害が来ても大丈夫だというのです。
 これはたとえ話ですので、このたとえ話を使って、イエス・キリスト様は伝えたいメッセージがあったのです。それは、この世界にあるものにより頼んでいても、この世界のものに絶対的に信頼し、絶対的な信頼を寄せて寄り縋ることができる物などないのだ。しかし、神は絶対に変わらないお方であり、揺るぎのないお方だ。だから神の言葉に信頼し、絶対に変わらない神の約束を信じ、それに寄り縋って生きていくことの大切さを伝えるために、このたとえ話をなさったのです。
 この世界に絶対に安心だとよりすがることができないということは、今回の令和6年能登半島地震でも思い知らされる思いがします。元旦という、私たちが一年で最も幸多かれと願い求める日に、あのような大災害が起こるなどと誰が考えたでしょう。しかし、それが起こったのです。そのような何が起こってもおかしくない私たちの世界の中で、ただ神様と神の御子イエス・キリスト様のみが、揺るぎのない土台として、私たちの心を支え、私たちを導いてくださるのです。そして、決して変わらない神の約束を私たちに与えてくださっています。それは、やがて再び、イエス・キリスト様が私たちのもとに来られるとき、それこそ決して揺らぐことのない新天新地が作られ、世界が神の前に一新され、神の愛と恵みに満ちた世界が建設され、死んだ者も蘇り、不安や恐れや悲しみの涙もない世界において、神と共に生きることができるのだという約束です。
 その約束こそが、決して揺らぐことのない、私たちの存在の土台であり、私たちが、この移り行きゆる動かされているこの世界の中で生きていく土台であり、よりすがって生きていく土台なのです。
 

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