2024年3月3日日曜日

 「愛のプレゼント」

新約聖書のヨハネの手紙第一4章10節にこういう言葉があります。

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物として御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」

 この言葉は、実に不思議な言葉です。普通ならば、私たちが神に喜ばれるような事をしたならば、それに応じて神が何か良く事をして下さるといったふうに考えるんじゃないでしょうかね。例えば、多くの浄罪を積めば、多くの祝福をいただけるといった具合です。

ところが、先程の聖書の言葉は、私たちが神に対して何もしていないのに、神のほうが私たちが罪と死に支配されているこの世界の中から掬いだし神の子なることができるようにと、イエス・キリスト様を十字架につけて死なせてくださったというのです。

私たちが、神を愛したから、神が私たちの罪を赦すためにキリストを十字架につけたというのならば、それは私たちの愛に対する神の報酬です。けれども、神は、私たちが何もしていないのに、私たちのためにキリストを十字架で死なせて下さっているのです。そうやって、私たちが罪と死の支配のもとで、過ちを犯し、私たちの心に醜さや汚れを掻き立てられるといった状況から救い出し、神の子として神と人を愛する者なるようと教え導いてくださるというのです。

 イエス・キリスト様の十字架の死と復活、それはもはや報酬ではありません。神が私たちを愛するがゆえに下さったプレゼントなのです。イエス・キリスト様は、あらかじめ、罪と死の支配からの解放というプレゼントを用意し、それを私たちの前に差し出してくださっているのです。それは、本当に神の心からの愛が込められたプレゼントです。

 でも、どんなに愛が込められたプレゼントであっても、それを受け取らなければ、プレゼントはプレゼントとしての意味をなしません。ただ感謝して受け取ってこそプレゼントなのです。ですから、あなたにも、この神が心からの愛を込めて送ってくれたプレゼントを受け取って欲しいのです。それは、具体的には、神を信じ、神が私たちの罪の身代わりとして十字架で死なせたキリストが、私の罪の救い主であるということを、心に受け入れ信じると言うことです。

 ただそれだけで、私たちは神から罪を赦され、神に受け入れられるのです。そして、どんなに人が、私たちの犯した罪や過ちを責めたとしても、神は決して私たちを責めることをなさらないのです。いま、この素晴らしいプレゼントがあなたの前に差し出されています。ですからぜひ、この神の愛のプレゼント受け取って頂きたいと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿