「目に見えないものにこそ」
私たちが神を求めるとき、それは何か困ったことや、欠乏を感じる時、あるいは助けが必要な時です。つまり、何か具体的に解決を与えたい問題が目の前にある時に、神を求め、神を信じるのです。
しかし、神を信じ、神に問題の解決を祈り求めても、その祈りに対して私たちが期待した答えが与えられないことがあります。もちろん、祈り求めた答えが与えられることもある。そのような現象を見るとき、神が祈りに答えてくださる基準はいったいどこにあるのだろうかといぶかしい思いになります。
神が、私たちが願い求め、期待することを必ず成し遂げてくださらないとしたら、私たちは神を信じる意味があるのでしょうか。神が、私たちの祈りにいつも答えてくださらないとしたら、神を信じる意味はないのでしょうか。
いいえ、そんなことはありません。それでも神を信じる必要があり、神に祈る意味はあるのです。
私たちは、何か困ったことに出会ったり、欠乏を感じる事態が怒ったり、助けが必要な状況に陥った時、その問題だけに目を向け、その問題だけに思いを注ぎます。そして、その問題を何とかしようとするのです。そんなときには、その問題以外の事は私たちの目には入ってきません。視野に入ってくる余裕すらないのです。
しかし神は、その問題だけでなく、私たち人間の人生のすべてを考えています。それだけではなく、私たちが住む「この世」と言う世界すべてを視野に入れておられるのです。そして、その「この世」という世界の中で生きる私たち人間の事を顧みながら、その中に置かれている「あなた」と言う存在を見ておられる。そして、「あなた」と言う人が、神と人とに愛され、神と人とを愛する者となるようにと教え導こうとなさるのです。それこそ、今は「あなた」の視野に入っていないことも見据えながら、「あなた」が善き者となるようにと関わろうとしておられるのです。それは、私たちには見えていないものであり、見えていないものです。
神は私たちの見えないものを見ておられる。そしてその見えないものにこと、大切なものがある。そのことについて、私の友人、岩本遠億牧師は4分に満たないの短いメッセージで語ります。そのショート・メッセージは下記のアドレスで聴くことができますので、そのアドレスをクリックし、▶ボタンをクリックしてお聴きください。
https://podcasters.spotify.com/pod/genki-seisho/episodes/ep-e29lh7c
この岩本遠億牧師のショートメッセージは、岩本牧師の著書『366日、元気の出る聖書の言葉』にあるものを音声にしてお伝えしているものです。それを岩本牧師の御許可をいただいて転載しています。
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