「ただ一つの必要なこと」
私たちが幸せになるためには、何が必要でしょうか。
色々な答えを上げることができるかもしれません。
でも、本当にそれがなければ幸せではないのでしょうか。
私の知っている方に、星野富弘さんと言う方がいらっしゃいます。
この方は、大学を卒業し、中学校に教員をしておられましたが、自己で首から下が全く動かなくなりました。そのため、寝たきりの生活をしなければならなくなり、食べることも含めて、すべて誰かの手を借りなければいけなくなりました。
やがて、星野さんは絵筆を口にくわて、水彩画を描くようになり、それにご自身の詩を書き加えるようになりました。もちろん、そこには大変な努力があったことには間違いがありません。
その星野富弘さんが語った言葉で、私が衝撃を受けた言葉が二つあります。残念ながら、この言葉は直接聞いたことばであり、文献に残ってはいません。ただ、私が実行委員を務めた、静岡で行われた星野さんの作品を紹介した展覧会の記念誌にだけ記されています。その言葉は、
不自由と不幸とは結びつきやすい性質がありますが、不自由と不幸せは同じものではありません。私は、今、幸せです。
また、星野さんの作品の展覧会がハワイで開かれた時、ある人が「神様が、あなたをけがをする前の健康な体にもどしてくださる言われたらどうしますか」と尋ねました。その時、星野さんはこう答えたそうです。
私は、今、幸せですから、せっかくのお申し出ですが、お断りしたいと思います。
不自由とは、なにも体が動かない状況だけではありません。健康な体を持っていても、あれができない。これができない。思うようにいかないという不自由さを感じます。それは心が不自由になっているのです。そのような時、その心は簡単に「不幸だ」と思い込んでしまいます。しかし、不自由と不幸とは同じものではないのです。
そして、星野さんをして、「今、幸せだ」と言わせているものは何でしょうか?
私は、それは愛だと思います。体が不自由になり、すべてのことを人に頼らなければ生きていけなくなった。その時に手を差し伸べ助けてくれる人の愛に触れ、それに触れ続けて、愛されているということを知った。そのことを通して、愛に包まれていることの中に幸せを感じているのではないか。私はそう思うのです。
その愛は、多くの人から愛されるということでくてもいい。たった一人の人が、命がけで愛してくれる愛に触れるならば、私たちの心はその人の愛で包まれ、幸せを感じることができる。そして、そのような人が私たちには、今、ここにいるのです。それはイエス・キリストというお方です。
幸せになるためになくてはならないもの、そのことを、私の友人、岩本遠億牧師は、ご自身の著書『366日元気の出る聖書の言葉』の中で次のように語りかけます。それを岩本牧師自身の音声で語っています。3分強の短いメッセージです。その内容を下記のアドレスをクリックし、▶ボタンをクリック してお聴きください。(音声が出るまで、すこし時間がかかることがあります)
この岩本遠億牧師のショートメッセージは、岩本牧師の著書『366日、元気の出る聖書の言葉』からのものですが、岩本牧師の御許可をいただいて転載しています
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