2024年2月26日月曜日

崩れ落ちた神殿

 新約聖書のマタイによる福音書24章1節2節にこういう話が出ています。それは、イエス・キリスト様がエルサレムにある神殿に行かれた時の話です。イエス・キリスト様はその立派な神殿を見て、こう言われたのです。

「この神殿の石の一つでもくずされずに、そこに他の石の上にのこることもなくなるであろう」

 この言葉は、エルサレムの神殿が、全て破壊されるであろうという預言です。そして、その預言通り、紀元七十年にエルサレム神殿はローマ帝国によって、粉々に壊されてしまったのです。けれども、この言葉は、単に歴史的出来事をイエス・キリスト様が預言し、そしてそれが成就したと言ったことだけを私たちに教えるものではありません。もっと大切なことを教えてくれていると思うんですね。それは、目に見えるものに頼よるのではなく、神に頼らなければならないと言うことです。

 エルサレムの神殿は、ユダヤの人にとっては、自分たちが神の民であるということの証であり、誇りでもありました。また、当時のユダヤの人々はエルサレムに神殿がある限り、自分たちは大丈夫だと思っていたようです。そういった意味では、神殿が自分たちの民族がよって立つ、より頼むべき存在になっていたのです。
 けれども、そのより頼む神殿も、もともとは人の手で作られたものに過ぎません。人の手で作られた形あるものは、いつかは壊れてしまう儚いものです。ですからキリストは、神殿が破壊される預言を通して、「人が作り上げた目に見えるものに頼らず、目には見えないかも知れないけれど、神を信じ、神に頼らなければならないよ」と言うのです。

 現代の日本に生きる私たちは、エルサレムの神殿を頼って生きているわけではありません。けれども、もっと違った形で目に見えるものに頼っているのではないでしょうか。例えば、お金です。お金さえあれば大丈夫だといった、お金信仰みたいなものが、心のどこかにないだろうかって思うんですがどうでしょうか。
 けれども、そういったお金によりたのみ、お金を第一にする社会が、決して住みよい社会ではないということは、最近の世相をみれば、あきらかです。それじゃ、「誰か頼るべき人を見つけて、「といっても、人間の心だってあてにはなりません。それじゃ国といっても、その国はもっと頼りになりません。

 だからこそ、神を信頼し、神を頼りなさいというのです。神は永遠の存在です。そして真実なお方です。ですからいつでも、どんなときでも変わらない確かなお方なのです。この神が、あなたのことを顧みて下さっているのです。

 ですから、私は「あなた」に、ぜひこの神を信じ、この神を信頼して頂きたいと願います。このお方こそが、私たちが生きていくうえで揺るぎのない土台なのです。旧約聖書の中に次のような言葉があります。

 「恐れるな、わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手であなたを守る。」

旧約聖書イザヤ書41章10節にある、永遠に真実な神の約束の言葉です。

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