最初に、聖書の言葉をお読みしたいと思います。お読みします箇所は、旧約聖書出エジプト記二十章三節です。「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。あなたには、わたしのほか神々があってはならない。」
牧師をしていますと時々、このように言われることがあります。「日本には日本の宗教があるから、何もキリスト教と言った外国の宗教を信じなくても良いのではないですか。」
「なるほどなぁ」と思わされるような言葉ですが、しかしよく考えて見てください。確かに、世界中には様々な国があり、民族があります。しかし、国や民族はちがっても、私たち人間は、同じ一つの人類なのです。
ある宇宙飛行士は、宇宙から地球を眺めたときに、地球儀でみた様子と同じ地球の姿にたった一つだけ違いがあることに気づきました。それは本物の地球には、国境を定める線がないと言うことです。なのに、神という存在は、それぞれの国のでしょうか。
聖書は、神は唯一であるといいます。それは日本人の神とか外国人の神とか言うように、沢山の神があるのではなく、私たち人類にとって神は、唯一の存在なのだということです。
さきほどの、聖書の言葉は、イスラエルの民を奴隷の地であったエジプトから助け出した神が、そのイスラエルの民に向って語られた言葉です。神が、そのようにイスラエルの民を助け出されたのは、イスラエルの民を我が子のように愛し慈しんでおられたからです。
同じように、神は私たち人間を、全て愛し慈しんでおられます。なぜなら、聖書の神は、私たち人間を含む天地万物を造り、命を与えたお方だからです。私たちは、神の愛する作品なのです。だからこそ、神は私たち人間を愛し、慈しんでおられるのです。その神の慈しみは、キリストの十字架の死に表われています。キリストの十字架は、私たちの罪や心の奥に潜む、醜い心、自己中心的な心にo陥れる罪の力から、私たちを救いだし、神の愛の中に導く神の恵みの業なのです。
ある人がこんな事を言っていました。「日本で見る太陽と外国で見る太陽に違いがあるはずはない。それは同じたった一つの太陽を見ているからだ。」そうです。たった一つの太陽は、地球の全ての国、すべての人に太陽の恵みを降り注いでいるのです。同じように、天地万物の創造者である唯一の神は、全ての国の人々に神の恵みを与えてくださるお方なのです。
だからこそ、聖書は、神は唯一で、この神以外に信じるべきお方はいないとそう言うのです。ですから、皆さんのも日本の神だ外国の神だなどと言わず、ぜひ聖書の神を信じ受け入れて欲しいのです。
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