2023年11月14日火曜日

人間は人間だから人間になるのだ

 人間という存在は神秘です。なぜならば、人間は自分自身が何者かという問いを立てることができるからです。「わたし」という存在はいったい何者なのか。このような問いを立て自分自身を追求し、より善いものになっていこうとして努力をする。なぜそのような問いをたて、より善いものになっていこうとするのか。単に生きて行くという事だけであるならば十分な環境にあっても、なお現状に満足せず、より高見を目指すのか。その問いと思いこそが、神秘です。「わたし」という存在に思いを馳せる「わたし」が存在する。その存在こそ神秘なのです。

 このような神秘は、単なる学習ということ、すなわち経験し学ぶという事で得られるものではありません。ですから「わたし」は何者という「わたし」につい問うているその問いは、考え、学ぶことによっては永遠に答えが与えられない問いなのです。 
 考え学ぶという事は知性の働きです。このような知性の働きは、低度なものから高度なもの差はあってもすべての動物に備わっています。しかし、より善いものになっていこうとする思いは経験や学習から学ぶことではなく。人間の中にある衝動なのです。「わたし」が「わたし」であるがゆえに、よりよい「わたし」になろうとする。またなっていく。それは、人間の肉体に属するものでもなく、知性に属するものでもなく、人間が人間として存在している人間の霊性に属するものなのです。ですから人間は、単なる動物ではなく、霊的な動物なのです。
 しかし、人間ははじめから、そのようにより善いものになろうとし、より高見を目指すようになるわけではありません。最初は何もできない赤ん坊として生まれてくるのです。ですから、最初から霊性に目覚めているわけではありません。しかしたとえ赤ん坊であっても人間は人間です。ですから、赤ん坊にも霊性が備わっています。そして霊性があるからこそ、その赤ん坊が成長していく中で、だんだんと体も心も成長し、そして霊性も深まっていくのです。つまり、人間は霊的存在として生まれてきたからこそ、より人間らしくなっていくのです。
 「わたし」が「わたし」として存在する。「あなた」が「あなた」として存在する。これは、もはや人間の知性の領域ではなく、神さまの領域です。神様が「わたし」という存在を与えてくださった、ですから「わたし」という存在は何者なのかという問いをたてる「わたし」あるいは「あなた」という存在は神の属する存在なのです。だからこそ、「わたし」は、そして「あなた」は大切な、かけがえのない存在なのです。
 だとすれば、この神に属する「わたし」が、そして「あなた」は聖なる存在なのです。いうなれば、人間はすべからく聖なる存在として生まれてきたのです。聖なるものとして生まれてきたからこそ、より善いものになろうとする。神に属する者として生まれているからこそ、より聖なるものになろうとするのです。
 ちょっと哲学的でわかり難い文章になりましたが、私の友人の岩本遠億という牧師は、このことをよりわかりやすく「聖なるものとして」という5分程度のショートメッセージで語っています。よろしければ、その岩本牧師の説教にも耳を傾けて聴いていただければと思います。下記のアドレスをクリックしてくだされば、岩本牧師の「366日元気の出る聖書の言葉」のホームページに行くことができます。そのホームページの「聖なる者として」というメッセージの▶マークをクリックしてくだされば、そのメッセージを聞くことができます。なお『366日元気の出る聖書の言葉」にホームページのアドレスは、岩本牧師のご了解を得て、ここにリンクしてあります。

https://podcasters.spotify.com/pod/show/genki-seisho/episodes/ep-e2bs4ga?fbclid=IwAR2riCMhGR9dariYUhGgQHd4NQhodEQxS3LESQ1zTwlcgVFgOlwfhTlYrKg

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