例えば、親にとって子供は本当に大切な存在です。だからといって子どもを自分の所有物のようにしてしまったならば、その子供は幸せなのでしょうか。実は、本当に大切なものは、手に入れるのではなく、手放すことができるものなのです。その大切なものが、もっともより善いものとなるために、その大切なものが最もふさわしいと思われるところで生かされるためには、それを手放すことができる。それが「わたし」にとって本当に大切なものなのです。
ときには、そのために大きな犠牲が伴う場合もあります。大切なものだけではなく、「わたし」自身をも手放さなければならないことだってあります。自分のプライドや財産や思いまでも犠牲にして、大切なもののため仕えることができる。それこそが最も大切なものなのです。
聖書には、自分の娘の癒しを求めてきた女性の話があります。私の友人の岩本遠億牧師は、その女性について、3分強の「神様に食い下がる」というメッセージを語っています。
この女性にとって娘は「本当に大切なもの」でした。だからこそ、この女性は自分のプライドも自尊心も捨てて、ただイエス・キリスト様に憐みを請い寄り縋るのです。その女性の姿をイエス・キリスト様「あなたの信仰は立派だ」と言われます。なぜでしょう。それは、娘のために自分の誇りも自尊心もなげすてて、イエス・キリスト様に憐みを求める姿が、ご自分の命を投げ捨てでも、「わたしたち」人間を救おうと思うイエス・キリスト様の思いと重なり合うからです。そこに大切なもののためには、自分をも投げ捨てる愛が、イエス・キリスト様をも突き動かすのです。なぜなら、イエス・キリスト様は、「わたしたち」にためにすべてを投げ出すほどに「わたしたち」を愛してやまない方だからです。
そのイエス・キリスト様の愛は、今、「あなた」に注がれています。「あなた」にとって最も大切なものは、この「あなた」を愛するイエス・キリストの愛なのです。
先ほどご紹介した岩本遠億牧師のショートメッセージは下記のアドレスから聴くことができます。アドレスをクリックし、岩本牧師の『366日元気の出る聖書の言葉』のページに行き、そこで▶マークをクリックしてください。
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