子供が生まれ、成長していく姿を見守りながら、ハイハイをし始める喜び、喜んだと思えばすぐに早く立てと願い、つかまり立ちをし始めると、今度は早く歩けと願いだす。そして、それが標準的な成長のプロセスと比べてちょっとでも遅いと、大丈夫だろうかと心配をし、心が騒ぎだす。そんな心境を私たち夫婦は、子育ての中で経験してきました。
子供の成長はひとり一人違っています。それこそ私たち夫婦は3人の子育てをしてきましたが、3人が3人とも成長の歩みは違っていました。そして今、2人も孫の成長を見守っていますが、これもまた子どもたちとも違っている。子育てとは、早く大きくなれと願う思いに対してじっと忍耐が求められるものです。
忍耐ということは、「わたしたち」人間にとっては、易しいことではありません。その言葉自体が「耐えて忍ぶ」と言う意味ですから、苦しいことだと言えます。けれそも、この忍耐を真骨頂としている存在がいます。それが神です。
神は、私たち人間を創造なさったお方です。神が私たちをこの世界に存在させたのです。いわば神は、「わたしたち」人間の生みの親のような存在です。その神は、「わたしたち」人間が育ち成長していくのを忍耐を持って見守っておられるのです。その成長は、神の目から見れば、「早く、早く、もっと早く」と思われるような遅々としたものかもしれません。実際、「わたしたち」は、今も昔も変わらないと思われるような状態です。
環境汚染の問題が重大な危機を迎えていると知ってはいても、自分の利益のためには生活のスタイル、産業構造、社会の在り方をなかなか変えられないでいる。戦争が良くないことだとわかっているのに、未だに戦争が起こっている。本当に「わたしたち」人間は、成長しているのかと疑わしくなります。
「わたしたち」人間と言うと話が大きくなり、そこに「わたし」という自分自身の姿がみいださればくなりましたが、「わたし」自身も、本当に人として成長しているのか、神の目にかなうようなより善い人間となっているがと問われると心配になります。結局、「わたし」も自己中心的な人間の独りにすぎず、自分勝手な生き方をしている一人なのです。
「あなた」はどうですか?
神は、そんな私たちを忍耐強く見守ってくださっています。その神のまなざしは、子供を愛し、慈しむ親の目に似ています。
その神の忍耐について、私の友人の岩本遠億牧師が「まあ希望がある」という4分弱の短いメッセージで語っています。その岩本牧師のショートメッセージは、下記のアドレスをクリックし、新しく開かれたページで▶のマークをクリックすれば聴くことができます。
https://podcasters.spotify.com/pod/show/genki-seisho/episodes/ep-e2bc65a?fbclid=IwAR0u12yQMTGBqVxFJwCK9YfJHUbYabZUiSL-Xf8iA6oGkONwBJZnwSw8tBA
このメッセージは、岩本牧師の著書『366日、元気の出る聖書の言葉』にあるものを音声にしてお伝えしているものですが、岩本牧師の御許可をいただいて転載したものです。
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