2023年11月4日土曜日

人に役立つ者となる

 有名な宗教改革者が書いた本に『キリスト者の自由』と言う本があります。

この『キリスト者の自由』と言う本の冒頭でルターは奇妙なことを言います。それは次のような言葉です。

「キリスト者は全てもののも上に立つ自由な主人であり、何人にも従属ない。またキリスト者は全てものに奉仕する従僕であり、何人にも従属する」

 神を信じるようになったキリスト者は、誰にも縛られず拘束されず、自分が思うままに自由に生きることができるようななったとルターは言います。しかし、そのように自由なものとなったからこそ、すべての人に仕える者のようにして、人のために働くものとされたのだとルターはいうのです。
 ルターの目には、神を信じキリスト者になる前の人間の姿は自由に生きている姿には見えませんでした。なぜならば、自分自身の欲や願望に縛られてしまって、人間が本来なすべきことができなくなっているとルターは考えていたからです。そして、人間は、本来は神に仕え、人に仕えるために存在しているのだと言う人間観が垣間見られます。
 神に喜ばれ、人にために役立つ働きをするために生まれてきたはずの人間が、いつの間にか自分の欲望や願望にがんじがらめになってよいことができなくなってしまっている。そして、その欲望や願望が達成できないためにイライラしてしまったり欲求不満になってキレやすく怒やすくなってしまっている。なんだかわたしたち現代人の姿を見事に言い表している感じがします。
 私は、夢や希望を持つことは悪いことだとは思いません。自分がなりたい自分になる自由を私たちは持っていると思います。けれども、そのなりたい自分の姿が、誰からも喜ばれ、人に役立つ者であるとするならば最高だと思います。そして、それが本当に誰からも喜ばれ、人に役立つ生き方であるならば、それが達成できなくても決してイライラしたりキレっぽくなることはないはずです。なぜなら、その思いは決して自己中心ではないからです。
 ですから、たとえ夢がかなわず、希望通りにならなくても、すぐに他の道を見つけられるでしょう。またほかの道を探すことができるはずです。人に喜ばれ、人に役立つ道は、様々な分野にあり、大きな働きや小さな働きに関わらず、私たちの周りに数多くあるからです。ありふれたことの中だって、心を込めて誰かに貯めにしてあげることはある。
 信仰は、自分中心な生き方から私たちを解放してくれます。神を信じて生きるとき、私たちは神に喜ばれ、人に喜ばれる生き方を生きるものへと変えられて行きます。なぜならば、そこには人のために生きたイエス・キリスト様という私たち人間の模範となるべき愛なるお方がおられるからです。このイエス・キリスト様が、私たちを愛に生きるものへと導いてくださるのです。
 愛に生きる者、それは自分のために生きるのではなく、誰かのために生きる人です。そのことを、私の友人の岩本遠億牧師が「仕える者とは」という3分程度の短いメッセージの中で私たちに語ってくれます。そのショートメッセージは下記のアドレスをクリックし、新しく開かれた「366日元気の出る聖書の言葉」のページに行き、▶マークをクリッククリックすることで聴くことができます。なおこのメッセージは、岩本牧師の著書『366日、元気の出る聖書の言葉』にあるものを音声にしてお伝えしているものです。それを、岩本牧師の御許可をいただいてここに転載したものです。 


https://podcasters.spotify.com/pod/show/genki-seisho/episodes/ep-e2bf5vn?fbclid=IwAR1ct3aEh7zImgV8Ok5O0GVIe9YNtD9nYYAyYZK4sZEZv3dMPVoz18-0N4Y

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