つい先日、ゴジラ-01(マイナス・ワン)が封切られました。
実は、私はゴジラ・ファンの一人です。ゴジラ・フリークといってもいいかもしれません。ですので、わたしの書斎やリビングはゴジラのフィギュアであふれています。
とは言え、牧師と言う仕事は決して経済的に恵まれた仕事ではありませんの、高価なフィギュアを買うこともできませんので、ほとんどが数百円で変えるものばかりです。ですから、周りの人から見れば、ほとんど価値にないものなのですが、私にとってはとても大切なものであり、宝物とも言えるです。
そのように周りの人から見れば、価値のないどうでもいいようなものを宝物のようにして大切にしているという事はよくあることです。河原に落ちていた滑らかな石ころ、参道で見つけたちょっと変わった形をした木切れ、コーラのキャップといった人から見ればゴミのようなものを、宝物として大切にしまっておく子どもたちがいます。
たとえ周りの人たちにとっては、どうでもよい価値のないものでも、その人にとってそれはかけがえのない宝物なのです。そこに理屈などないのです。ただ、そのどうでもよい価値のないゴミのようなものでも、限りなく愛おしく感じられる。だから大切なのです。
神様にとって、私たちはそのような存在です。どんなに周囲の人が、あの人は何の役にも立たない価値のない人だ言おうと、神様の目にには「わたしたち」ひとり一人は、たまらなく愛おしく、大切な宝物のような存在なのです。
私たちは、価値があるには、何か理由があるように思います。あの人は野球がうまい、サッカーが上手だ。あの人のピアノ演奏は優れている。あの人は頭がいい。兄人には技術がある。私たちが価値あるものとする理由はごまんとあります。
しかし、本当に価値あるものは、理由などないのです。ただそれがそこにあるだけで、とても価値ある宝物となるのです理由などないのです。ただ私たちを愛おしくて愛おしてたまらないのです。そのような思いで、神様は「わたしたち」を宝の民だ、高価で尊いのだと言ってくださっているのです
そのことを、私の友人岩本遠億牧師が「神様の宝もの」という2分ちょっとの短いメッセージでみなさんにお伝えしています。そのメッセージは下記のアドレスをクリックし、「366日元気の出る聖書の言葉」のホームページの▶マークをクリックしてくだされば聴くことができます。そのアドレスの記載を岩本牧師の御許可をいただいてけいさいしていますの、是非お聞きください。
2023年11月6日月曜日
わけなんかないさ!
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