2023年11月30日木曜日

霊の耳で神の声を聞く

 神様は霊です。ですから神様を見ることも神様の声を「わたしたち」の耳で音声として聞くこともできません。どんなに一生懸命祈っても、「わたしたち」は、音声として神の答えを聴きことができないのです。

 しかし、だからと言って神様は「わたしたち」の祈りを聞いておられないわけではありません。また「わたしたち」が置かれている状況を知らないわけでもないのです。神様は、「わたしたち」の状況をちゃんと知っておられ、「わたしたち」の祈りをちゃんと聞いておられるです。そして、その祈りの答えを私たちに伝えようとしておられます。ただ、神様は霊ですので、神様がお答えくださるその答えも霊も耳をもって聞き、霊の目をもって見なければわからないのです。霊のみ見をもって聞くとか、霊の目をもって見ると言われても、なんだかよくわからない言われるかもしれませんが、要は、「わたしたち」の心で感じ取るということなのです。
 神様は「わたしたち」の心に働きかけます。そしてその働きかけを、「わたしたち」は心で聴くのです。もちろん、その用に心で感じる、心で聴くということは、極めて主観的な事柄です。でもそれでいいのです。神様は「あなた」という個人に語りかけているからです。「あなた」というひとりの人が神様のまえで、正しく、より善いものとして、神様と人とに喜ばれるものとなるように神様は「あなた」の心に語りかけるからです。
 もし仮に、神様が「あなた」に語りかけてくださったと感じたことがあっても、それによって「あなた」が神と人に喜ばれない者になってしまうならば、その時はいったん立ち止まって、本当に神様は「わたし」に語りかけてくださったのだろうか、「わたし」の心に浮かんできたことは、神様と人とに喜ばれることなのだろうかをしっかり考えてみる必要があります。神様は、「わたしたち」の心に内側に神の像(かたち)を刻み込んでくださっています。この神の像(かたち)は、しばしば「わたしたち」の良心の中に現れ出ます。そして、その良心が「わたしたち」の心に浮かんできた思いが、神様の語りかけのか、「わたしたち」の願望が言葉となって浮かび上がってきたものかを判別してくれるのです。
 神様は。「わたしたち」の祈りを聴き、決してそれを無視しません。そして必ず、私たちの霊の耳に、霊の目に、その答えを表してくださっています。だから、「わたしたち」は、「わたしたち」の霊の耳、霊の目を研ぎ澄まして、心でそれを感じ取ることが大切なのです。
 そのことを、私の友人の岩本遠億牧師が下記のアドレスをクリックすると出てくる「366日元気の出る聖書の言葉」というページの「神は聞いておられた」という3分ちょっとの短いメッセージで語っています。このメッセージは、岩本牧師の著書『366日、元気の出る聖書の言葉』にあるものを音声にしてお伝えしているものですが、岩本牧師の御許可をいただいて転載したものです

https://podcasters.spotify.com/pod/show/genki-seisho/episodes/ep-e2cj9b2?fbclid=IwAR1QnMChT-2ghQs2cCOPPwW3kh0Uoh1wSAvnEXp1R7bx-o9wRzEFYt_-_z0

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