2023年12月16日土曜日

人間関係って難しいよね

 


「わたしたち」にとって、とても厄介な問題の一つが人間関係かもしれません。じっさい、人間関係の悩みは数多く、なかなか根深いもので難しいものであったりします。この人間関係が難しいのは、実は「わたしたち」ひとり一人が尊く大切にされるべき存在だからです。
 「わたしたち」のひとり一人が尊っとばれ、大切になれなければならないということは、至極と当然のことであり、とても大事なことです。それはひとり一人の個性異なる個性を持っているということが大前提にあります。そしてそこには、そのひとり一人の異なる個性が大切にされるということでにあるのです。ひとり一人が異なる個性を持つ言うことは、言うまでもなく、ひとり一人の価値観や考えも違うということです。当然、主張も違ってくる。もちろん、時には、それが一致することもありますが、一致しないこともある。そこに、人間関係の問題が生まれてくるのです。
 アリストテレスという古代ギリシャの哲学者は「人間は社会的動物だ」と言いましたが、確かに仙人のようになって山奥に身を潜め、たった一人で生活するというようなことをしない限り、私たちは誰かと関わりを持って生きて行く存在です。そこに意見や考え方、主義主張の違いあって、それをぶつけ合えば、人間関係の中に軋轢が生まれてくるのは必然だと言えます。だから、序列を造って軋轢が怒らないようにしたり、そもそも、多くの人が「大人」になって、人間関係がギスギスしないように、気配りをして調整したり、自分の意見をぐっと飲みこんで、問題が怒らないようにします。しかし、そのような関係は、結局、力関係を産み出し、そこにストレスを産み出しますので、結果としてそこにある人間関係の問題は、覆いを隠されて見えないようにっされていますが、しかし確かに存在はしているのです。だとすれば、私たちはあきらめるしかないのでしょうか。
 私は、そのことを考えるとき、フランスの小説家で「星の王子様」を書いたサン・ディグジュベリが結婚について述べた「結婚とは、互いに見つめ合うことではなく、同じ方向を見つめることである」という言葉を思い出します。
 結婚というのは、最も親密な人間関係の一つです。ですから、人間のエゴが最もストレートに出ることがしばしば見られます。もっともサン・ディグジュベリはフランス人ですから、彼が思い描いていた結婚は、それこそ熱い愛情によって結ばれた結婚かもしれません。だからこそ、そこに互いに向き合い、見つめ合うという姿を見ていたのかもしれません。そのような互いに熱い愛情に結ばれているならば、結婚当初は、そのような互いの考え方の違いや価値間の違いとそこから生み出される意見の違いや主張の違いは、乗り越えられるのかもしれません。
 そんな時に、サン・ディグジュベリベリ「わたしたち」は、自分の持つ価値観や思い、そして考えに目を向けるのではなく、また相手に価値観や考えに目を向けるのではなく、互いが一つの方向に目を向けてごらんというのです。そして二人がその方向をみながらともにあうきはじめてならば、互いに協力し合い、支え合っていけるといけのです。
  私は、そのサン・ディグジュベリベリの言葉を聞いた時に、「なんだかいい言葉をきいたなー」と思いました。「そして、その通りだ」と納得もしました。しかし、現実には、なかなかそれもうまくいきません。理想としてはわかるのですが、なかなか難しいことなのです。たとえ同じ方向を向いたとしても、それでもやっぱり、どこかで自分のエゴが顔を出すのです。それほど人間のエゴは根深いのです。そうなると、どこに目を向けるが大切のなります。
 「わたしたち」が目を向けるべきところ、それは、「わたしたち」神様なのではないでしょうか。なぜならば、神様は人間を超越している存在だからです。「わたしたち」が意見や考えを衝突させるのは、自分の考えの方が、「相手よりも秀れている」とか「ほかの人よりも良い考えだ」と思うからです。しかし「わたしたち」を超えた存在である神様が思い描き、考えるおられることは、「わたしたち」の思いや願いをはるかに優ったものだからです。ですから、私たちが人間関係の中に軋轢が生じたときは、まず、神様の方向に目を向けるのです。その神様の方向とは、聖書です。聖書の言葉に目を向け、心を静めて、神様が語りかけてくださる言葉に耳を傾けるのです。
 もちろん、それだけではないでしょう。一度、心の中にわだかまりができてしまうと、それはなかなか回復できるものではありません。その回復のためには、互いの心が擦れ合い摩擦が生じる部分に緩衝材となり、摩耗材となるものが必要です。その緩衝材となり摩耗材となってくださるお方がイエス・キリスト様はです。イエス・キリスト様は、私たちに「愛」という緩衝材となり摩耗材となる者を豊かに注いでくださいます。そして、私たちの心の傷を癒してくださると同時に、相手を思いやり、慈しむ心を与えてくださいます。ですから、イエス・キリスト様という存在が、私たちに人間関係の中に介在してくださるとき、私たちの抱える人間関係の問題は、確かに解決に向かって進みだすのです。
 そのこと、私の友人の岩本遠億牧師は、「歯車」という短いジョーとメッセージで伝えてくれています。その岩本牧師のメッセージは、岩本牧師のご了解をえてリンクした下記のアドレスで聴くことができます。下記のアドレスをクリックして、『366日元気の出る聖書の言葉』というホームおエージに行き「歯車」というタイトルにある▶マークをクリックしてください。そうすれば聴くことができます。

https://podcasters.spotify.com/pod/show/genki-seisho/episodes/ep-e2da96m?fbclid=IwAR3UVjgL2bn1tjt9EKYw1Gs3QSIkd4PwTcAWc0j35qVQ10EWyPrqsHwpOgg

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