「『あなた』だけの特別ですよ」と言われて嫌な気がする人などいないのではないでしょうか。「『あなた』だけ特別」と言われると、なにか大切に扱われたような気がして、嬉しく思ってしまうものです。もちろん、私もその一人です。
私の知人は兄弟が多くいるのですが、その知人が小さい時、その知人の親が、「あなただけの特別よ」といって、飴玉や小さなチョコレートをくれたそうですが、とてもうれしかったそうです。もっとも、後で分かったことですが、その親は他の兄弟にもおなじようにしていたそうです。でも、とても賢い親御さんだなと思います。そうやって、子どもたちひとり一人に、「わたしは『あなた』を大切にに思っているよ」という思いを伝えていたのだと思います。そしてそのように親から「大切にされている」という思いをもって育てられた人は、本当に幸せだと思います。
聖書の中には、神様が「私はあなたの名を呼んだ」(旧約聖書イザヤ書43章1節)と言われている箇所があります。神様を信じる民は数多くいます。現在のクリスチャン人口は世界で24億人弱、日本でも100万人弱の人がキリスト教を信じています。このイザヤ書が書かれた時代でも、聖書の神を信じるユダヤの民は数百万人はいただろうと思います。そのような中で、名前を呼ばれるというのです。その特別感は、それはもう「半端ない」者だったろうと思います。
しかし神様は、あの私の知人の賢い親のように「わたしたち」のひとり一人に「わたしは『あなた』の名前を呼んだよ」といって、本当に名前を呼んでくださるのです。そうやって神様は、「わたしは『あなた』を大切に思っているよ、大事にしているよ」という神様の思いを私たちに伝えてくださろうとしているのです。私自身も「ああ、神様が私の名を呼んで語りかけてくださったな」と思う経験が何度かありました。もちろん、私の心がそう感じたということなのですが、でも私は、本当に私の名を呼んでくださったのだと、そう思ったのです。
神様は、「わたしたち」ひとり一人を大切に思っておられます。そして、「わたしたち」ひとり一人、そう「あなた」が、神と人に喜ばれる人になって欲しいと願っておられるのです。それは、神様が「わたしたち」ひとり一人を、そして「あなた」を、「あなた」の名前を呼ぶほどに大切に思っておられるように、「あなた」も「あなた」の周りにいる誰か一人でもいい、その一人を大切にする優しい心を持って接するような「隣人を愛する」人になって欲しいと願っているのです。
その神様の思いを、私の友人の岩本遠億牧師は「一人を大切にする」という3分ちょっとの短いメッセージの中で語っています。その岩本牧師のショートメッセージは、岩野と牧師の許可を得て掲載しています下記のアドレスをクリックして『366日元気の出る聖書の言葉』というホームページに行き同名のタイトルにある▶マークをクリックしてくだされば聴くことができます。
0 件のコメント:
コメントを投稿