倫理学の学びをしていますと、どうしても現代の倫理学上の問題として、自己決定権の問題を考える必要があります。自己決定権の根底には、「わたし」のことが「わたし」のことは「わたし」が決める自由があるという思いが前提にあります。その意味では、自己決定権は自明のことのように思われます。
ところが、その自己決定権自死や尊厳死といった問題におよぶと、とたんに議論は簡単ではなくなります。「わたし」の「体」や「わたし」の「命」は「わたし」のものなのだから、それをどうしようと「わたし」の自由ではないかということだけでは済まなくなるのです。ここにおいて「わたし」という存在は、単なる個人としての「わたし」ではなく、社会との関係性の中にある存在であることが浮き彫りにされるのです。つまり、「わたし」という存在は、社会との関わりの中にあって、初めて「わたし」という存在を認識することができるのです。
「人のためになることをしたい」「人のためにある仕事がしたい」と思う気持ちは、人間が社会との関わりの中で「わたし」が「わたし」になるということの一つの現れであるということができるのかもしれません。
聖書の中に「人がその友のために命を捨てる。それより大きな愛はない」(新約聖書ヨハネによる福音書15章13節)というイエス・キリストの言葉がありますが、「人のためになることをしたい「人のためにある仕事がしたい」と思っていても、人のために命を投げ出すまでのことをできる人は、そうそういないものです。ましてや知らない人や敵のために命を投げ出すなんてことは考えられません。
しかし、その考えられないことを現実の歴史に中で実行した人がいるのです。それが「人がその友のために命を捨てる。それより大きな愛はない」と言われたイエス・キリストご自身なのです。イエス・キリストが「人がその友のために命を捨てる」といわれているのです。ですからこのお方は、知らない人や敵までも「友よ」と言って呼びかけてくださっているのです。
当然、イエス・キリストは「あなた」に対しても友よと呼びかけているのです。その「あなた」のために命を投げ出されたイエス・キリストのついて、私の友人岩本遠億牧師が、「自分の使い方」という短いメッセージを伝えています。そのメッセージは下記のアドレスで聴くことができますので、下記のアドレスをクリックし、新しく開かれたページで▶をクリックして下さい。
https://podcasters.spotify.com/pod/show/genki-seisho/episodes/ep-e2ak5p0?fbclid=IwAR049gScwbrpS6qbZQxCzMKCh8YpSURXVTkknL3bUFVRNRCmNcVgX2UL1nE&%24web_only=true&_branch_match_id=943951679210878550&utm_source=web&utm_campaign=web-share&utm_medium=sharing&_branch_referrer=H4sIAAAAAAAAA8soKSkottLXLy7IL8lMq0zMS87IL9ItT03SSywo0MvJzMvWT9XPzPYyNyqtqAxzSbJPS0rOyUyx9Sx3DDIwsUwPTi5PKioINitMigqscK7y9XbOsIgsCA4NiggLyc7O8zFOCnULC%2FILcs71Sw5LjzAK9THMcwUAdn%2Fg6nUAAAA%3D
この岩本牧師のショートメッセージは、岩本牧師の著書『366日、元気の出る聖書の言葉』にあるものを音声にしてお伝えしているものですが、岩本牧師の御許可をいただいて転載したものです。
0 件のコメント:
コメントを投稿