教会と訳されている言葉のもととなっている言葉は、ギリシャ語のエクレ―シアという言葉です。
このエクレ―シアとは、召し出された会衆、召し出された人々という意味です。ですから、教会とは、人々の集まりです。つまり、キリスト教の信仰は、私一人が信じるということに留まるものではなく、神様を信じ、イエス・キリスト様を信じる信仰がもたらす喜びを、自分一人の中にとどめておくのではなく、それを共に分け合い、多くの人に伝えていく者なのです。当然、それは教会の中だけにとどめておくものでもありません。だから、教会はキリスト教をこの世界の中に伝えるという伝道をするのです。
どうじにそれは、信仰の喜びを伝えるというだけではありません。一人一人の苦しみや悲しみ、そして心の痛みと言ったものを共に感じ、その苦しみや悲しみ、そして心の痛みの中にいる人のために祈るものでもあるのです。
なぜならば、神様ご自身が、悩むの中にある人、悲しみの中にある人、心に痛みを感じている人の心に共感し、共に苦しみ、共に悲しみ、共に痛む共感する神だからです。
エクレ―シアである教会は、神を信じる人の群れでありますから、自分たちを私たちと言います。人と人との集まりだからです。しかし、この私たちは、単に人と人とが集まっているから言うのではありません。神が人といてくださることによる私たちでもあるのです。
人は独りではない。神様が共にいてくださるから、だから教会は「私たち」なのです。そして教会は、その本質が「私たち」であるからこそ、神様は、教会に人々を呼び集め、そこで喜びも悲しみも分かち合う「私たち」という共感しあう群れをお作りになられるのです。
この「私たち」ということを中心に、私の友人岩本遠億牧師が、教会に伝わる主の祈りを通して「私」ではなく「私たち」という短いメッセージを伝えています。そのショート・メッセージは以下のアドレスから聞くことができます。そのアドレスをクリックして▶のマークをクリックしてください。
https://podcasters.spotify.com/pod/show/genki-seisho/episodes/ep-e2aam15?fbclid=IwAR3O0Qfv_7RrN5dgHsIP7iX60nrx30fDB4Xb77Js_ovzjs_NsrTWMu44eSw
(この岩本牧師のショートメッセージは、岩本牧師の著書『366日、元気の出る聖書の言葉』にあるものを音声にしてお伝えしているものですが、それを岩本牧師の御許可をいただいて転載しています)
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