人間が人間である。極めて当たり前のように思いますが、しかし実は人間とは何かという問題は、決して簡単には言えない問題です。いったい人間を人間とする者は何なのか。例えば、肉体という即物的な面からみれば生物学的に人間というのはDNAによって分類可能なのかもしれません。
しかし人間は、肉体という側面だけでなく、心や意識といった側面も持っています。そして、物事を価値づけたり、意味づけたりします。人間のこのような一面を一般的には、心あるいは精神、哲学的な表現をもって言えば理性、宗教的な言い方をすれば霊ということができます。
聖書は、人間の肉体は、地の塵から造られたと言います。同時に、神は鼻から神の息を吹き込み、生きた存在として造られたと言います。つまり、人間は神に似たものとして造られたというのです。そのことを聖書は、神の像(かたち)に造られたというのです。
肉体が成長するように、心も成長します。そして成長して完全なものとなっていく。その様子を観察した古代ギリシャの哲学やアリストテレスは、そのような有様を植物の種子が変容しつつ育っていく姿に譬えながら捉えています。そういった意味では、人間は、人間の肉体の中に神の像という種子が植えられているということができます。
肉体の成長には、肉体を養い育てれる、肥料や水が必要です。同様に、人間の霊を養い育てるためにも肥料や水が必要とするのです。
聖書には、「人はパンのみで生きるのではない。神の口から出る神の言葉によっていきるのだ」という言葉があります。まさに、人間は神の口から出る言葉によって成長し、人間となるのです。
そのことについて、私友人の岩本遠億牧師が「信頼」というタイトルの3分ちょっとの短いメッセージを語っています。そのメッセージが下記のアドレスで聴くことができます。
下記のアドレスをクリックくださり、新しく開かれたページで▶マークをくりっくしてくだい。岩本牧師のショート・メッセージを聞くことができます。(この岩本牧師のショートメッセージは、岩本牧師の著書『366日、元気の出る聖書の言葉』にあるものを音声にしてお伝えしているものですが、岩本牧師の御許可をいただいて転載しています)
2023年10月18日水曜日
信頼(心の成長のために)
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