この夏、妻の父が突然天に召されました。
日曜日の朝、主日礼拝を終えた直後、娘から電話があり、義父が亡くなったと知らされました。私も妻も牧師という仕事柄、親の死に目に会えないこともあるということは覚悟していましたが、本当に突然のことで、心の準備もできないまま義父の死を迎えることになりました。
聞きますと、義父は亡くなる前に「もう少し長生きがしたかったが、私の人生に悔いはない」と言っていたそうです。義父はくりすちゃんでしたので、「私の人生に悔いはない」というその人生は神を信じて生きた人生です。私はその言葉を聞いた時、私は私の恩師であり、もっとも尊敬する牧師のひとりであるM牧師の最後の言葉を思い出しました。それは「神を信じて生きた私の人生は幸せだった」というものです。
私の義父も恩師のM牧師の死も、突然訪れたものです。ですから、十分に準備して語られた言葉ではありません。しかも、義父の死は事故が直接的原因ではありませんでしたが、しかし事故が誘発した突然の死であり、M牧師の死は医療事故ではないかと思われるような突然のものでした。しかしそれでもなお、人生に「悔いはない」、「幸せだった」というのです。
そこには、神を信じて生きた人生があります。その人生は、神を信じたから順風漫歩であったかというと、必ずしもそうとは言えません。むしろ、試練も多かったのです。しかしそれでもなお、神を信じ抜いていきた人生を、その死の間際であっても「悔いはない」「幸せだった」というのです。いえ、死の瞬間まで神を信じて生き貫いて生きてきたからこそ、「悔いはない」、「幸せだった」と言えるのでしょう。
この言葉は、残されたものに、どれだけ慰めを与え、励ましを与えたことか。神を信じて生きた人の人生は、生きているときだけでなく、死んだ後もなお、人を慰め、励ますものなのです。
そして、私もそのような人生を生きたいものだと思います。そしてきっと生きられるのだと思うのです。そう、私も「あなた」も神を信じる人生を生き貫くなら、必ずそのように「悔いはない」「幸せだった」と言える人生を生きることができるのです。
今日も、私の友人の岩本遠億牧師のショートメッセージをお届けします。4分に満たない短いメッセージで、「死の備え」というタイトルのメッセージです。神のアドレスをクリックし、新しく開かれた「耳で聴く366日の元気の出る聖書の言葉」のページで、同名のタイトルの▶マークをクリックしてお聴きください。 なお岩本牧師のショートメッセージは、岩本牧師の著書『366日、元気の出る聖書の言葉』にあるものを音声にしてお伝えしているものですが、岩本牧師の御許可をいただいて転載したものです。
2023年10月25日水曜日
悔いのない人生
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